いつ死んだっていいと思っていた。
選択権のない人生。再生の旅にしたって、押し付けられる妻にしたって、神託が示すのはゼロスの意思など無視した未来。
どうせ望まれて生まれてきたわけでもない。唯一の肉親には疎まれている。長くこの世に留まるだけ無駄だと思った。
――俺さまはまず長生きしない。
周囲が眉をひそめる豪遊も、軽薄な言動も、全てこの刹那的人生観に基づくものであった。
とはいえ、おとなしく死ぬつもりは毛頭なかった。
どうせならゼロスに窮屈な運命を強いた連中の思惑を底から引っ掻き回してやりたい。それがせめてもの復讐。
稚拙で浅はかな考えだと自覚していたが、荒々しい願望は浮かんでからずっと薄れることなく胸に居座っていた。信用ならないクルシスやレネゲードなどという組織に与したのも、野望のための計画だった。
だからこんな形での介入など望んでいなかったのだ。


「なんだい、見送りに来てくれたのかい?」
潮風に吹かれてじっと海原を見つめていたしいながこちらを見もせずに言う。隠密の民として気配に敏感な彼女は足音で聞き分けたのかもしれない。別に驚かせようと思っていたわけではないので、ゼロスは大またで近づくと彼女の隣に並んだ。
行き交いの激しいグランテセアラブリッジの港。メルトキオから一番近いこの港は常に人で溢れている。まさかこんな場所から世界の未来を背負った女が、たった一人雑踏にまぎれて旅立とうとしているなんて、誰が知るだろう。
彼女はここからフラノールを経由してレアバードに乗り継ぐ。そして時空を越えて未知へと向かうのだ。
「いんや。たまたま用があって寄っただけよ。そしたら港にナイスバディのお姉ちゃんを見つけて近寄ったらしいなだったってだけ」
「あーそうかい。あんたにとっちゃ、あたしはどうせ胸だけの女だからね」
緊張しているのか、堅い表情で呆れたようにしいなは笑った。
当然嘘だ、見紛うはずがない。姿勢のいい凛とした立ち姿。けれどどこか頼りない孤独を孕んだ小さな背中。初めて会ったときからまとうこの雰囲気だけは変わらない。
そんな彼女に実は曖昧な親近感を抱いている。同時にぬぐえない嫌悪感も。

シルヴァラントの神子暗殺計画を聞いた時、ゼロスはなんと馬鹿げているのだろうと失笑を禁じえなかった。
つい最近存在を明かされたばかりの相対世界。その事実は衝撃だったが、すぐさま打ち出された無謀な計画はさらに衝撃的。こちらから乗り込んで慣れぬ土地で暗殺を企てるなど正気とは思えない。けれど差し迫った危機を前に、お偉方はまともな思考力を失っているようだった。
それからしばらくして、その任務にしいなが立候補したと知った。呆れを通り越して怒りすら覚えた。何を血迷ったのかと。
しかし彼女は真面目な顔をしてこう言うのだ。
「テセアラのためなんだ」と。
おそらくその時のゼロスの表情は取り繕えないほどに激しく歪んでいたに違いない。
大層な理由を掲げてさぞかし気持ちがいいことだろう。本心はもっと醜い利己的な願望のくせに。
彼女が過去の事件で責任と罪悪感を持っているのは知っている。ほぼ実験的な今回の任務に彼女が申し出たのは、つまりそういうことなのだ。
過去への贖罪、もとい自身への言い訳。
自分を犠牲にすることで、生きている理由を正当化しようとしているのかもしれない。
己もたいてい浅知恵だが、彼女はそれを上回る愚女である。

しばらく無言で波間を見つめた二人は、やがてどちらからともなく向かい合った。先ほどより幾分和らいだ表情でしいなはゼロスを見上げる。
「まあでも、発つ前にあんたの顔が見れて良かったよ。一応、あんたの未来もかかってるからね」
「なーに言ってんの、しいな。俺さまの華麗なる未来は誰にも邪魔されたりしねーんだよ」
「…………あんたは本当に相変わらずだねー」
妙な間を置いてため息をついた彼女はらしくないほどおとなしい。まるで今生の別れを意識しているかのようだ。最期の思い出を怒りやくだらないやりとりで汚さぬように。
ゼロスは気付かれぬようぎゅっと拳を握る。
違う。もし彼女との別れがあるのなら、切り出すのは自分だったはずだ。神子として死んでいく、ゼロスの方が「さよなら」を言う立場だった。
それなのに安穏と見送るのがこちらだなんて、許せない。
それにまだゼロスは満足していない。彼女と過ごした日々。出会ってから今までの経過。彼女にはまだまだ興味がある。こんなところで失われては困るのだ。
だから、「別れの言葉」なんて欲しくない。

「でもま、あんたと出会ったこともそう悪くなかっ――」
「シルヴァラントなー。名物とかあんのかな?」
現在を過去にしてしまいそうな発言が結ばれる前にゼロスは強引に話を遮った。あからさまにムッとした表情のしいなを見ないふりで、ゼロスはあっけらかんと続ける。
「俺さまも興味あるからさー、ついでに観光名所チェックして来いよ。うまいもんは期待できないけどよ、貧しい暮らしの薄幸美少女なんてのもそそるよなぁ」
「アホ神子!あたしは観光しに行くんじゃないんだよ!?」
「あー、はいはい暗殺ね。でもあっちの神子女の子なんだろ?お前に殺せるとは思えねーなー」
「どういう意味だい!?」
「そのまんまの意味よ」
忍びとしてはまだまだ甘いこの女が、冷徹になりきれるとは期待できない。考えたくない可能性のほうが如実に想像できてしまって、ゼロスはかすかに顔をしかめた。
今さら、行くのをやめろなどと言えない。言ったところで聞く耳を持たないだろうことも予想できる。
だからこそ、ゼロスは言うべき言葉を考えた。
別れでもなく、責任を負わせるものでもなく、再び彼女との再会を望む言葉。

「お土産期待してっからよ。向こうの神子にはまあよろしく伝えといてくれ」
「はあ?」
「そんでかわい子ちゃんがいたら、俺さまの評判をしっかり流しておくように!」
「だから観光じゃないんだって……」
呆れ果てたらしい彼女は付き合うのも面倒だとでも言いたげに肩を落とした。そんな彼女の背中を軽く叩きながらゼロスは切に願う。
暗殺などしなくてもいい。たとえ世界が反転しようが、ゼロスの野望はゼロスが果たす。
そしていつか、ゼロスが望む形で「別れ」を告げられるように。
彼女には必ず戻ってきてもらわねばならないのだ。


さよならはいらない


  


うちのゼロス君はしいなの評価がけっこうひどい。それも愛ゆえなんですよ。……ホントに?
しいなを見送るにしてもゼロスは頑張れって言うかなーと考え。

『ただいまの予行演習』に繋がります。