生きるか死ぬかの重大な任務。テセアラ国民全ての命と未来を背負って、未知へと乗り込む不確かな旅。
誰もがしいなに重々しく、励ましに見せかけた圧力をかける中、あの男だけがへらへらと笑いながら言った言葉が、いまだにしいなの心に妙なしこりとなってこびりついている。
「お土産期待してっからよ」
暴言とも言える不謹慎な発言にはどのような真意が隠されていたのだろう。


赤い炎が風に揺れて、しいなはふと手を止めた。少し冷たいテセアラの風。肌を撫でる慣れた感触がなつかしいと思う反面、どこかよそよそしい気もする。
任務を全うできず、のこのこと戻ってきたしいなを責めているのだろうか。
しいなは眉を歪めて、無表情で膝を抱える金髪の天使を見やった。
どうしても、殺すことができなかった。四大天使などという強敵が守っていたこともあるが、タイミングを見計らって何度も接触を続けるうちに、本気で彼女を殺すという意志が弱まってしまったのだ。
ほだされたというと聞こえが悪いが、でも彼女や取り巻く人々がみな敵すら惹きつける魅力を持っていた。だからたぶん、きっかけとなったルインの惨劇がなくとも、いずれこうして仲間になっていたような気がする。
故郷や任務のために徹し切れなかった。哀れなコレットを助けたいと思ってしまった。
そうしてある現在を後悔はしていない。自身の選択は間違っていなかった。
びゅうと強く吹いた風がしいなの髪をあおる。予備の薪が転がって丸くなって眠るロイドの額に当たったが、彼は穏やかな眠りを妨げられることもなくいまだ規則的な寝息を保っていた。
「………………………」
信じているのに、どうしても揺らいでしまう自分が嫌だ。

「しいな、墨が垂れちゃうよ」
腕にふくよかな尻尾を巻きつけて、コリンが注意を促がした。慌てて筆を墨つぼに戻して、そのまま筆を立てかける。
だめだ、集中できない。今無理に書いて紙を無駄にするより、改めて書き直すほうがいいだろう。
そろえた膝に登ってきたコリンを抱き上げて、しいなはメルトキオの方角に視線を向けて目を細めた。以前の印象より、夜が少し暗くなった気がする。それもまた、シルヴァラントで遂げた再生の影響なのかと思い至って、視線を足元へ戻した。
「メルトキオ、寄らなくていいの?」
しいなの微妙な心の機微を読んで、コリンが見上げてくる。それに苦笑いで答えながら、ゆるく首を振った。
「本当は寄るべきなんだろうけどね」

苦手な書を書くくらいなら、直接行って口で説明したほうが都合がいい。いずれ陛下にも謁見しなければならないのだ。
なのに、なんとなく近寄りがたいのは後ろめたさが原因なのだろうか。
あの日、最後に見たメルトキオは、とても巨大で頑強そうに見えた。ところが今は、城壁の中の住人の顔ばかりがちらつく。
意地悪な教皇、青白い顔の陛下、励ましてくれた研究所の仲間たち。そして強烈な印象の神子の顔。
……あの軽薄な神子を思い出すたび、しいなの心は奇妙にきしんだ音を立てた。
しいなが失敗したら、代わりに世界を背負うのは彼だ。普段はあんなにおちゃらけている男でも、実は意外に真面目であることも知っている。少なくとも自身の使命くらいは自覚しているはずだった。
再生の旅は心を失うための旅。あの男も、その事実を知っていたのだろうか。
だからあれほど再会を望んだ?それともやはりしいなをからかう冗談だったのか。
もし再び顔を合わす機会があったなら、暗殺に失敗しながら平然と返ってきたしいなを見て、彼はいったいどんな顔をするのだろう。
それが全く想像できずに、しいなはため息をついた。
任務を果たすまでは帰ってこないはずだったこの地には、しいなの欲し、恐れるものが多く存在する。
もう二度と以前のようには話せないのかもしれない。
過去の過失と同じように、また里の仲間やメルトキオの民に蔑まれ疎まれるかもしれない。
今逃げたところで、いつか必ずその時はやって来る。それでも少しでもその時から遠ざかりたいと願う自分は……。

「コリン、やっぱりあたしはいつまでたっても臆病者だね」
唯一の味方を強く胸に抱いて、しいなはその柔らかな毛に顔を埋める。小さくみじろぎした高い声は暖かなぬくもりを伴って鼓膜を振るわせた。
「そんなことないよ、しいな。しいなは強くなったもん」
「そうかな……」
「そうだよ!きっと大丈夫。それにしいな、仲間が増えたでしょ?」
コリンの指摘にしいなははっと顔を上げる。焚き火を囲んで眠る異世界の仲間たちを見回して、わずかに心を緩めた。

そのとおりだ。
任務が失敗したと言っても、あの時想像した失敗とは違う。しいなはシルヴァラントと歩む新たな未来のために、コレットを見逃した。テセアラの敵はシルヴァラントではなく、シルヴァラントの敵はテセアラではない。共通の強大な敵、クルシスだ。
今はまだ立ち向かう力は足りないかもしれない。けれどきっと彼らならやり遂げてくれる。そしてコレットの笑顔も、きっと取り戻してくれる。
「そうだね、コリン。あたしは一人じゃない。……アンタもいてくれるしね」

深く頷いて、しいなは初めて空を見上げた。紅い輝きを宿す星を見つけて、目を凝らす。
神子。同じ星のもとに生まれた二人の存在。その双方を知るのは今のところしいなだけだ。
「向こうの神子によろしく伝えといてくれ」
彼の言葉が蘇る。
さて今度会うときは、どんな顔をして笑えばいいんだろう。


ただいまの予行演習




『さよならはいらない』から繋がってます。
メルトキオ前で不自然に離脱するしいなの心境を想像。
しいなの弱さってゼロスがパーティ入りしてから目立つようになった気がする。昔なじみだから?いやいやゼロスだからですよ。
互いに突き放しているようで、実は支えあっているような二人が最高です!!!