04.泣きそうな顔してるくせに 


ああ、またそんな顔して……。

隣を歩く青年の横顔を見上げ、晴香はつきんと痛む胸に手を当てた。
触れそうで触れない微妙な距離。その向こうで八雲の赤い左眼は苦く歪められている。
それはきっと、濡れた路面に照りかえる朝日がまぶしいというだけが理由ではない。
こらえているんでしょう?
痛いほどに彼の辛さを感じて、晴香は空しく視線を俯かせた。

晴香には見えないものが見えてしまう八雲は、いつだって晴香の届かないところで傷つき苦しんでいる。
きっと今だってそう。後藤が持ち込んだ事件の影に、哀れな魂を見て、心を痛めているのだろう。
無愛想で素直じゃない人だけれど、本当はとても繊細で優しい心を持っているから。

「………………」
徹夜明けの疲労で重たい足が、急速に鈍る。
並んでいた肩は晴香の減速に気付くこともなく先へ進み、晴香を置いてきぼりにした。
一人で悲しまないで欲しいのに。
視線だけを上げると、振り返らない寂しい背中がそこにある。
彼の痛みを拭うことは出来なくても、理解することは叶わなくても、分かち合うことはできる。
それなのに、八雲は口を閉ざすのだ。
もともと大切なことほどうかつに口にはしない人だけれど……。
悲しみも苦しみも憤りも、すました顔ですべて溜め込んで、繊細な感情を見せるのはいけないことであるかのように、皮肉や軽口ではぐらかすから。
晴香は寄り添うことも出来ずに、言葉をなくす。

八雲と出会って、晴香は救われた。安心できる場所を与え、封印していた涙を溶かしてくれた。
口は悪いけれど、彼が晴香を見捨てたことは一度だってない。いつしか彼の存在は晴香にとってかけがえのない特別なものとなった。今ではもう彼を失うことなんて考えられない。
たぶん、八雲だって晴香を近くに感じてくれているはず。
それなのに彼は、かたくなに感情を押し込める。晴香に心を開いてくれないのだ。
それが寂しくて悔しくて悲しくて辛い。
これほど近くで同じときをすごしても、私は彼の器にはなれないの?


数歩先で、彼のかかとが止まった。
上り坂にさしかかるまえの信号。この交差点を右に曲がれば晴香のマンション。直進すれば明政大学に続く。
けぶる視界の中、彼の背中がこちらに振り向くのが見えた。逆光でかげった顔はよく見えないが、すがすがしい朝の光すら鈍る重い感情を引きずっている
このまま「じゃあね」なんて言えるわけがない。
今にも泣き出しそうな彼を放ってはおけない。
だって悲しい時ほど誰かの温もりが必要でしょう?
たとえ彼が望まなくたって、そばにいたいの。頼りにならなくても、トラブルメーカーでも。八雲の隣に晴香がいることを忘れないでほしい。

「八雲君」
勇気を出して呼びかけた声は震えていた。ああ、目の奥が熱い。つんとして潤むから、必死でまばたきを繰り返す。
彼と出会うまでこんな感覚に陥ることはまれだったのに、悔しいな。最近では頻繁に襲いくる。しかもこみ上げるものを我慢できない。
「っ……」
伝えたい言葉が声にならなくて、晴香はもどかしく彼の腕を両手で掴んだ。驚いた八雲がいぶかしげに見下ろす。
迷惑だと突き放されるだろうか。
不安に思って目をこすると、ふわりと柔らかい感触を頭に感じた。その正体は、八雲の右手。
ゆらゆら揺れる視界の向こうで、痛々しいまでの彼の苦しみがほんの少し和らいで見えた。

「またきみは、泣きそうな顔をして」
先ほどまで涙をこらえていたはずの八雲が笑う。困っているのか呆れているのか、いつもより少しだけ声が優しかった。
泣きそうな顔はそっちでしょ!
よっぽど言ってやりたかったが、涙と一緒に飲み込んで、晴香は小さく頷く。
それでもいい。意地っ張りで強がりな八雲が、そんな指摘を認めるはずがないのはわかってる。だから泣きたいのは晴香ということでもかまわない。
……それで八雲が一人で悲しまずにすむのなら。
私はいくらだって泣き虫を演じよう。

『心霊探偵八雲』より八雲×晴香

―作品とカップリング語り―
カナタの個人的な印象と感想を述べてます。肯定的ですが、気を悪くされる方はやめたほうがいいです。


八雲はほぼ発売当初からのファンなので、外伝を含めた9冊が全部大判サイズで本棚にずらりと並んでいます。ところどころ改稿されているという文庫も欲しいけど・・・悩むところ。
これはほんとに読みやすい小説です。当初のキャッチコピー「脳内映像ミステリー」の通り、わかりやすい描写で表現されているので、キャラクターが生き生きしている感じがします。
これを読んでいると、怖いのは幽霊より生きている人間のほうだなと、考えさせられますね。逐一性犯罪がかかわってくるところに何か意味があるのかな、と気になる今日この頃です。
いつのまにか、ドラマ化、舞台化、漫画家を経て、ドラマCDとしてアニメイトにも進出中。未読のかたは是非読んでいただきたい作品です。


そして、CP語り。
私には高確率ですっころぶCP傾向というのがあるのですが、この二人はまさにそれ。賢くて不器用な男と、よくも悪くも普通ながらとっても素直な女の組み合わせです。
特に最初の頃の、晴香のピンチに余裕をなくす八雲というのはきゅんきゅんしました。
この二人はじれったいほど純粋で、友達以上恋人未満というのが切ないくらいのコンビです。
基本的に八雲の視点で語られることはほとんどないので、八雲の気持ちがわからなくて、かなり焦らされますが、8巻でまさかの……!!!
クライマックスに向けて二人の関係がどうなっていくのかが、楽しみで仕方ありません!!!