この扉を開けるとき、いつも浮かぶ笑顔がある。
何が楽しいわけでもないだろうに、弧を描くつややかな唇。まん丸の瞳の上で光を跳ね返すお決まりの髪留め。
初めて会ったときから変わらない笑みは、いつだってそこにある。意識しなくても目に入る。その瞳がまっすぐ己を射抜いていると感じると、望はいつも妙に気ぜわしい思いを強いられた。
きっと今日もまた、彼女は何食わぬ顔で座席についているのだろう。ピンと伸ばした背筋で誰よりも鋭く望を見つめるのだろう。
ところが望の予想はわずかに外れた。


「おはようございます……」
朝の挨拶にはふさわしくない重苦しい口調でドアを引き開けた望は、教壇に立ち生徒を見回したところでかすかな違和感を覚えた。
彼らの制服は昨日と同じ。男子はまだ黒い詰襟を着ている。空席の机はいつものことで、他にはさして珍しい欠席者があるわけでもない。
だが、何かが違った。
彼女だった。
姿勢よく椅子に座る姿も、弧を描く唇の角度もいつ度と同じ。
何が違うのか、うまく言えない。ただ強さが足りない気がする。視線にも笑みにも、彼女特有の強さがない。もしかしたらこれは、「元気がない」というのと近いのかもしれなかった。

気になった望が見つめると、同じくこちらを見ていた彼女と目が合った。だが、何かを訴えかけるでもなく、彼女は平然とした振りでにっこりと目を細めた。
「先生? どうかしたんですか?」
委員長、もといきっちりちゃんに促がされ、望は「いいえ」と短く首を振る。とりあえず、今は教師としての義務を果たさなければならない。幸いHRでの連絡は少ないし、これが終われば授業の前に声をかける時間はある。
教師のくせに生徒と関わることを遠慮している望が、わざわざ一人の生徒に声をかけるなど「らしくない」と自覚していたが、なぜか放っておくことはできなかった。

手早く連絡を済ませた望は少々強引にHRを終わらせた。木津が何か言いたそうに抗議をしていたが、彼女を相手にするときっちり授業開始まで捕まるだろう。
つかのまの解散を言い渡された生徒たちが各々動き始める中で、望は教壇を下り、一人の生徒の席に向かった。彼女は向かってくるこちらを見上げながら、立ち上がりもせず、授業の準備をするでもなく、ただ姿勢よく座っていた。
「風浦さん、どうしたんですか?」
「? どうしたって先生こそどうしたんですか?」
丸い瞳できょとんと問い返される。思い違いかと首を傾げるが、いや、やはりおかしい。常から白い顔が、今は青ざめている。
望は瞳を険しくしてもう一度問いかけた。
「具合、悪いんですか?」
「……………………」
一瞬凍った瞳が瞬時に虚偽を繕う。
「いいえ、先生」
そして返されたのは隙のない笑み。望はその冷たさに傷ついた。
彼女は望を必要としていない。それどころか、関わることさえ許してはいない。
それは教師としてではない。一人の人間として、望を拒絶していた。
彼女の表情が無になっていく。唇が描く弧の角度も、くるんと見返す瞳の色も変わらないはずなのに、彼女の顔から表情が消えていく。
ああ、初めから彼女は微笑んでなどいなかったのか。そう見えていたのは、望の願望だったのかもしれない。

「可符香ちゃん」
呆然と立ち尽くす望の肩を、誰かがゆるく押しのけた。呼ばれ、そちらに顔を向けた彼女の表情に、今度こそ感情が浮かぶ。
信頼。安堵。
めったに見せることのない感情を無防備に向けた彼女は、気遣うように触れられると同時に糸が切れた人形のようにその胸へ倒れこんだ。
支えたのは同じく望の生徒だった。
「久藤くん……」
「保健室に連れて行きます」
彼は望を見もせずに呟くと、軽々と彼女を抱え上げる。本ばかり読んでいるから想像しがたいが、彼は意外としっかり筋力を持っているようだった。
はかない少女はその腕の中で、顔を苦しそうに歪めている。けれどそこには彼女が常にまとっている警戒心は欠片も見当たらなかった。
「お願いします」の一言さえ口に出来なかった望は、他の生徒が導くままに教室を出て行く背中を黙って見送る。

たくましい黒い背中の残像は、望の瞳に強く焼きついた。


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うちの先生は総じて哀れな人です。先生ごめんなさい。
でも心を許さない可符香が好きなので、先生にはみじめな思いをしてもらいたいのです。
准カフのつもりで書いたわけではないけれど、結果的にそうなりました。
准くんは誰と組み合わせてもおいしいキャラ(ポジション?)ですよねー。