目の前で軽やかに踊るペン先を追う。真っ白な原稿用紙に次々と文字が生まれ、文章が紡がれていく。
頬杖をついてその様を見守っていた可符香は、実のところ内容よりも文字やペン先そのものに見惚れているのだった。
(本当に育ちがいいんだなぁ)
正しいペンの持ち方。お手本みたいな美しい字。文章を書くというただそれだけの行為でここまで人の目をひきつける人というのもそう多くいるものではない。
紙の上を滑るペン先の音が、放課後の図書室にやたらと響いた。
「あの……なんですか?」
ふと迷いなく動いていたペンを持つ右手がピタリと止まった。困惑気味の声が上から降って可符香は顔を上げる。眼鏡の奥の瞳は恥ずかしそうに、そしてやや迷惑げに可符香を見下ろしていた。
「いえ、何でも」
理由などない。……しいて言うならば、日直の日塔奈美を待っているのだが、それはすでに説明してあるのでわざわざ繰り返す必要もない。
「私のことは気にしないで続けてください」
ただいつも通りの笑顔で見つめ返せば、先生はあきらめたようにため息をついた。
くるりん。くるりん。
先生の長い指がペンを二度回転させて再び持ち直した。華麗な構え方で流れるように文字を書き連ねていく。
そうしているときの先生はいつもより少しだけ楽しそうだと思った。

正しくしつけられて、両親や兄妹たちの愛に囲まれて、豊かに何不自由なく育ったであろうこの人が、どうして頻繁に死を口にしたがるのか、可符香にはさっぱり理解できない。
こんなに恵まれていて、これ以上何を求めるのだろう。
きっと先生は欲張りな人間なんだ。

「ねえ先生」
400字詰め原稿用紙が丁寧な文字で埋まる頃、可符香は頬から離した右手でその右上の一字をつと示した。
「この字、間違ってますよ」
「あ」
硬直する先生の顔。
「わかってたなら、なんでもっと早く言ってくれないんですかぁ!!」
涙目になって新たに書き直しを始めた先生を見て、さぞかし自分は意地悪な顔をしているのだろうと思いながら可符香は笑った。
「だってまさか、先生が“鬱”を書けないなんて思わなかったですから」


妬んでるわけじゃないですよ。



同人誌(今はあまり需要がないほう)を執筆中の先生。