望に手を引かれ帰っていく交を、二人は小さく手を振って見送った。 これで今日の交当番は完了。と言っても本来は、千里の当番ではなかったのだけれど。 「勉強の邪魔しちゃってごめんね」 「いいえ、別にかまわないわ」 「ならよかった」 にっこりと微笑まれ、千里は逃げるように広げたままの教科書を片付け始めた。 図書室の大型の机には、教科書の他にも絵本が一冊広げられていた。いかにも西洋らしくカラフルに着色された表紙を撫でて、千里はわずかに顔を歪める。 ――めでたしめでたし。 そう締めくくった少年の声が、鼓膜の奥でこだました。 「ああ、それは僕が片付けるよ」 千里の手から取り上げた本を、書棚に戻しに行く准の後ろ姿を見送りながら、千里は奇妙にぐらつく心を保つように、ぐっと胸に手を当てた。 そもそも絵本の内容は決してハッピーエンドではなかった。明るく陽気に描かれたイラストとは対照的に、内容は人の世の無情を突きつけるシュールな展開。高校の蔵書だけあって、純粋な子供向けの絵本ではなかったのだろう。 だが彼は読み聞かせる途中から、登場人物に新たな設定を付け加え、明かされていない心情を想像し、挙句の果てに新キャラクターまで捏造しながら、独自のストーリーを生み出してしまった。そうして結ばれたフレーズが先のとおり。 天才ストーリーテラーの異名を持つ久藤准の手にかかれば、救いのない話が一転、至極のハッピーエンドになってしまうのだから恐ろしい。 几帳面な千里としては、きっちり文面どおり朗読してもらいたかったが、交の楽しそうな顔を見たら、水を差すのはためらわれた。起承転結のある話に仕上がっていたから、とりあえず見逃してあげたけれど。 「…………はあ」 なら、この胸を騒がす心地はなんなのだろう。 底から一つ二つ緩やかに湧き上がるような欲。それはまるで何かに嫉妬でもしているような。 「どうしたの?」 俯いたままの千里の前に、黒い学生服が近づいた。顔を上げれば、いつもの優しい彼の顔。 近いはずなのに、とても遠い。 彼の真っ黒な瞳に映る自分の姿が、別人のように見えた。 だって、彼の中には、彼だけの世界があるのだ。 彼によって命を与えられ、彼によって生かされる幸せな人々。必ずしもハッピーエンドを迎えるわけではないけれど、どの人物も創造主に愛されていることは確か。誰にも害されることなく、准にだけ愛されて永遠に生き続けられる。 それはなんと甘美な世界だろう。 千里には決して踏み込むことの出来ない、准の世界があると思うと、羨ましくて仕方がなかった。 「ねえ、久藤くん。お話してくれないかしら」 戸締りのため、窓へ向かった彼の背中に呟いてみる。やや驚いたように目を丸くして振り返った彼は、けれど決して拒否することはない。 「珍しいね。じゃあ、どんな話にしようか」 「木津千里が恋をする話がいいわ。私は幸せなヒロインなの」 たとえば、彼の紡ぐストーリーの一部になれたら。 千里も愛してもらえるだろうか。彼の世界の住人として、永遠の愛を与えてくれるだろうか。 ところが、彼は静かに首を振った。 「それは無理だよ」 「どうして?」 眉根を寄せた千里に苦笑して、准は言う。 「だってそれじゃあ、木津さんを僕の中で歪めてしまうことになるじゃないか。……僕は、そのままのきみがいい。そこで不機嫌そうにしてる木津さんがいい」 「っ……」 普段の穏やかな口調とは打って変わって、真剣な強い語調の直球に、千里は言葉をなくして頬を染めた。 なんだかずるい。千里の中に渦を巻いていた濃い嫉妬が、清い波にさらわれるように消えてしまう。なんて単純なんだろう。 悔しくて、素直に喜べない。 「ふ、不機嫌そうって何よ」 「いつもの木津さんのことだよ」 「ちょっと、それって失礼じゃない?」 「そう?僕は好きだけど」 「!」 今度こそ、顔を真っ赤に染めた千里を、准は笑った。 形のないものに嫉妬していたことが、なんだかバカらしい。確かに、彼の世界の住人になれれば、ずっと愛されていられるのかもしれないけれど、決定的に欠けているものが一つある。 「けど、そんなことを言い出すなんて、よっぽど寂しかったのかな?」 「も、もういいわ。忘れて」 「そうはいかないよ」 ごまかすように両手を振る千里をあっさり抱きとめて、准はそっと腕で囲んだ。頬を押し付けた胸から、ほんのり伝わってくる暖かな彼の体温。 たとえどんなに愛されたキャラクターでも、これだけは得ることが出来ないのだと思ったら、やはり千里は現実の住人のままでいいと思った。 |
創造主の愛 |
砂が吐けるSSです。
もはや別人!