世界の絶対を覆す壮大な使命と冒険は終わった。
大樹は芽生え、世界は一つに元通り。世界は平和になりましたとさ、めでたしめでたし。
……たとえばおとぎ話だったとしたら、お決まりの言葉でしめくくられただろう。だが、現実はハッピーエンドで終わらない。世界が続いていく限り、エンドのその先までずっと、現実は存在するのである。

かもめがゆるやかに弧を描く。その軌跡を追いながらしいなは肩から盛大にため息をついた。
大樹の芽生えを確認して、メルトキオに報告に戻ってからすでに一週間。王室御用達 隠密集団ミズホの民として、また押し付けられた対シルヴァラント親善大使として、しいなはメルトキオに滞在を余儀なくされていた。旅の仲間たちが次々と帰郷していくなかで、慣れない町に残されて見送るというのは、仕方がないとは言えちょっと妬ましい。先ごろやっと帰郷の許しが出たところで、日も暮れかかっているこの時間では出立を明日に伸ばすしかないだろう。
ため息をついても身体に居座る疲労感は、立ち退いてくれる気はなさそうだった。
「よ、お疲れだな親善大使!」
背中からかかった軽薄な呼びかけに、しいなはさらに疲労が重量を増したような錯覚を感じながら振り返った。
「なんだい、ゼロス」
しいなとともにメルトキオに残る最後の旅の仲間。実際この街が彼の故郷であるから残るという表現は正しくないのだが、とにかく連日顔を合わせて今後について話し合う仕事仲間でもあった。
振り返ったしいなの顔はよほど悲惨な顔をしていたのであろう。彼は苦々しげに顔をゆがめると再度「お疲れさん」と今度は哀れみを含んで言った。
「それで、何か用?」
「何か用…って荒んでるねえ。まあ仕方ねえか」
彼自身も疲れているのだろう。いつものようにからかってくることはせずに、しいなを城門に続く階段へ誘いながらさっそく本題に入った。
「正式な命令は下ってないんだけど、メルトキオ市民から近郊の地形変化について情報が入ってさ、それの視察をしてほしいっていう要望よ」
「問題あり、なのかい?」
「さあ、それも含めて見てこいってことなんじゃねーの?」
「そーかい」
再びため息が出そうになるのを止めることがやけに難しかった。
世界は救われたはずなのに、問題は山積みだ。統合後の地形の変化。生態系異常。人心の混乱。その他もろもろ。
奇跡といっても、さすがに事後処理まで請け負ってくれるわけではないらしい。
結局ため息によく似た吐息を吐き出して、しいなは「了解」と頷いた。
世界を覆した責任は、きちんと果たすべきである。

くだんの地形異常はメルトキオ郊外に起こっていた。
以前は王城の背に連なる山脈に対し、正面街門の前には平らかな草原が広がっていたはずだが、統合後のやや強引な修正によりそこに大きな湖ができてしまったらしい。
あたりに魔物の気配はなく、地理が変わってしまったこと以外には、これといった支障はなさそうだった。
ほっとして肩の力を抜いたしいなは、きらきらと夕日の光を跳ね返す湖面にしばし見惚れた。
そっけない風景に突如現れた不規則な光の粒。この美しい姿が四千年間歪んだ思惑に隠されていた。
メルトキオ上空を飛ぶ場違いなかもめといい、この湖といい。世界法則の崩壊が世界中に及ぼした影響は大きい。いいものも、もちろん悪いものも、世界は受け入れざるをえなかった。
事情を知らない身勝手な民の一部には、この変化を理不尽だと騒ぎ立てるものもいた。
――本当にこれでよかったのか。
あれだけ決意を固めて突き進んだ道なのに、揺らいでしまう自分がいることも確かだった。
だけど。
「へー。まーさか、こんなところにこんなものができるなんてな」
複雑な思いで湖面を見つめるしいなの隣で、ズボンのポケットに両手を突っ込んだゼロスがまぶしそうに目を細めながらあっけらかんと笑う。
一瞬彼を見上げてわずかに目を大きくしたしいなは、穏やかな横顔にふと唐突に感じたのだ。
気付けばいつだって笑顔に影を落としていたあの男がこんなにも屈託なく笑っていること。それがたぶんこの道の答え。
「……まさに奇跡だね」
奇跡は一人で起こせない。
ロイドとコレットと、ハーフエルフ姉弟やレザレノ会長、オゼットの木こり、果ては四千年を生きた無愛想な天使まで。みんなが望んで、心を削って手に入れた奇跡なのだ。
だからたとえ誰かがこの偉業を悪行だと罵ろうとも、自分たちは堂々と胸を張っていよう。
ハッピーエンドのその先までハッピーでいられるように。

「世界中にこういう変化はあるだろうな。すでに報告書もいくつか届いてるけど、やっぱじかに見に行かないとあれだしなぁ」
湖面の光が拡散し始めた頃、ゼロスは両腕を頭の後ろで組みながら藍の混じり始めた空に向かってぼやいた。
薄暗くなったせいで彼の横顔はさきほどよりさらに濃厚に疲れを浮かび上がらせたけれど、意外にも表情に負は見えない。
それを義務と感じているのか、責任だと思っているのか、はたまた本心から出た言葉かもしれないけれど、世界に対して真面目になった彼をしいなは嬉しく思った。
彼の真似をするように遠くかなたの空を見上げて、しいなは笑いを含みながら提案した。
「じゃあ、世界中視察しないといけないね」
右に一歩近づいて、こちらを見下ろして頭から落ちたゼロスの右手をすくう。
ずっとしいなを支えてくれたてのひら。いつしか同じものを求めて伸ばしていた右腕。
コリンやあの旅の仲間たちはもう一緒にはいないけれど、今は隣に彼がいてくれる。それだけでこんなにも安心できる。
「二人」という響きは「奇跡」や「仲間」と同じくらいしいなを強く励ました。
「だから一緒に見にいかないかい? あたしたちが守った世界を」
厚い皮の骨ばった手のひらを両手で包みながら見上げれば、青灰の瞳は驚いたようにきょとんとこちらを見下ろしている。
その頬が突然意味を理解したように薄闇でもわかるほどぱっと赤らんだ。みるみる氷解したゼロスの表情はこれまでにない柔らかさで笑みを刻む。
「しいなからのお誘いを俺さまが断るわけないだろ?」
いつもよりほんの少しだけ熱をこめて呟いたゼロスは、しいなの薄い左手を包み込むように強く握った。


ハッピーエンドのその先へ


 

 エンディング直後の二人。手をつながせるって、意外と照れるな。
 ともかく、これだけは言いたい。
 ゼロしいは最高だぜっ!!