振り払われて簡単に投げ出された彼女の体が、雨粒でけぶる視界の向こう、がけのように足場のない緑に消えていくのを呆然と見送った。 激突音はなかった。いやあったのかもしれないが、激しい雨音にかき消され、今まで彼女がそこにいたことさえ不安になるくらい静かだった。雨音はもう耳に馴染んでしまった。轟音という無音の中、一瞬の硬直は敵の唸り声でリセットされる。 「!」 「エンジェルフェザー!!」 コレットが生み出した擬似的な羽根の刃が獣ののどを切り裂くと、仲間を一人投げ飛ばしたそれはあっけなく絶命した。 緑の世界に赤が散る。広がる色も、漂う匂いも、全てを洗い流して雨は降る。やむ気配のないにわか雨は、いまだ現実を受け止めきれないゼロスの心を鈍く叩いた。 「落ちたのはしいなか!?」 泥を滴らせながら、ロイドがよろめいて立ち上がる。それを支えながらコレットが深刻に頷いた。 「雨音がすごくて、悲鳴も音も聞こえなかったの!」 「まずいな…! この雨じゃ、無事でも危険だ!」 「冷えるからね! 早く助けなくちゃ!」 叫ぶような口調なのは至近距離でも互いの声が届きにくいせいだ。雨粒に顔をしかめながらこちらを振り向いたロイドは、額に落ちかかる髪をかきあげながらやはり叫んだ。 「ゼロス! 大丈夫か!?」 「俺さまは平気よー! それよりハニーこそ大問題でしょ!」 かばっている左足のすね部分が斜めに一線、鋭く裂けている。よく見えないがあのさまでは皮膚まで傷ついているだろう。それだって早急に治療が必要だ。あいにく別行動のリフィルがいる山小屋までは、ここからかなり距離がある。 応急処置にヒールをかけようと手を伸ばすと、ロイドは短く首を振った。 「俺はそんなに深くない。それよりしいながどの方向に投げ出されたか見たか!?」 ああ、こんな時まで少年は優しい。あいつが身を挺してまで思う気持ちが痛いほどわかるから、だからこそゼロスは腹が立った。 「見た」 「どっち? 私探してくる!」 「いや、俺が行く」 雨に影響されない光の羽を羽ばたかせたコレットに、低く強く制止する。驚いたコレットの手をロイドの肩に乗せ、ゼロスはがけの方向へ草を踏みわけ歩き出した。 「コレットちゃんはハニーをリフィル様のところまで連れてってあげて。しいなの方は俺さまが責任もって見つけてくるから」 「待てよゼロス!」 「コレットちゃん、そこのうるさい間抜けを頼んだぜ」 背中から呼びかける声に振り返らないまま手を振って、ゼロスはぬかるんだ地面に足をとられないように気をつけながらがけの下を覗き込んだ。がけといってもゆるやかな傾斜を描いて下っているだけだ。どのくらいの落差があるのかは把握できないが、下りられないこともない。ただ残念ながら緑と断続的な直線を描く雨の軌跡以外の色彩は何も捉えることはできなかった。 「あのアホが……っ」 舌打ちすると、ゼロスは斜面の木々に手をかけながらしいなの落ちた方向へ向かって慎重に下りて行った。 かばうという行為をあんなにも簡単にやってのけてしまうのが、ゼロスには信じられなかった。 確かに仲間を傷つけたくないとは思う。それは共闘する誰もが思うはずだ。 しかし同時に攻撃や痛みに恐怖する。それもまた生けるものの本能である。 だから仲間の危機を見つけた瞬間、大抵の人間は理性と本能が互いにぶつかり合って止まるのだ。躊躇という。その間に恐怖が勝ってしまうものもいれば、感情が身体を支配する場合もある。 そしてまれに躊躇せず反射で体が動いてしまう者もいるのだ。もしかしたら彼女たちは理性と本能が入れ替わってしまっているのかもしれない。 性格や経験に起因するものであることは承知であるが、どうにも認められないのがゼロスの本音だった。 膝をついたロイドの前にろくに防御の姿勢も取れないまま飛び出した彼女。 自己犠牲が美しいなんて意識はあいにくゼロスは持ち合わせていない。けれどトラウマを抱えて生きてきた彼女には美意識…というより、犠牲への願望があるらしく、時々こうして無意味に無謀に体を張る。その度に痛みをこらえて笑うさまが気に入らなかった。 傷ついて満足している彼女。自分の傷が他人を傷つけているなんてまるで気付いていない。鈍い自己満足とでも言おうか。なんて傲慢なのだろう。 斜面の下には不自然になぎ倒された下草があった。そこから頼りなく蛇行しながら斜面に沿って一本の道ができている。間違いなくしいなが築いた道だ。 焦りを押し殺しながら、ゼロスは慎重に道をたどった。 移動しているということは命に別状はないだろう。たぶん、重症でもないはずだ。雨で血が流されたのでなければ、の話だが。 それでもゼロスはしいなは無事であると確信していた。彼女はそんなに脆くはない。 やがて斜面の裏手に岩盤に築かれた洞窟が見えた。人工的に掘られたものだろう。その壁面に寄りかかってしいながいる。左肩を押さえて俯いた前髪の先から一滴、地面に向かって落ちて消えた。 「派手に吹っ飛ばされたな」 豪雨から逃れるために同じく洞窟の中に身を寄せながら、ゼロスはしいなに近づいた。顔を上げた彼女の顔色は優れない。体が濡れて冷えているせいか、それとも押さえている肩に原因があるのか。 それでも助けに来てくれた仲間の存在に安心したようで、ほっと淡く表情をゆるめた。 「ゼロス……」 「ったくよー、無茶すんじゃねーっての。わざわざ探しに来るこっちの身にもなれよ」 重くなった服の裾をしぼったあと、雫をはらってしいなに手を伸ばす。頬や胸元など露出した部分に枝葉で引っ掛けた細かな傷があるほかは、見える範囲で大きな怪我は見当たらなかった。問題は押さえている左肩のみ。 「ごめん……。みんなは無事かい?」 「ああ、ロイドはコレットちゃんと先に山小屋に戻った」 「そっか…。ならよかった」 痛みをこらえながらしいなが浮かべた笑顔に、ゼロスはぴくりを頬を強張らせた。 まただ。自己満足の笑み。それがゼロスを腹立たせていることなど思いもしない。 「よくねーよ。何がいいんだよ」 肩を押さえるしいなの手をきつく掴んで、ゼロスは低く呟いた。傷を刺激されたしいなが顔をゆがめる。抵抗しようとするのを顔の脇に左手をついて阻んだ。 「いた……。何すんだいゼロス」 「ほら、痛いんだろ?」 「そりゃ痛いよ。打撲くらいはしてるみたいだし」 突然不機嫌になったゼロスを見上げて、しいなは怪訝な顔をする。 「……なにさ、怒ってるのかい? 確かに迷惑かけて悪かったよ」 「そうじゃない」 「じゃあ、なんで……」 「傷、見せてみろ」 しいなの言葉を遮って、ゼロスは強引に肩からしいなの手をはがした。そのまま衣服をずり下ろすと、華奢な白い肌に赤黒い内出血が浮かんでいる。その毒々しさにゼロスは息を飲んだ。 何が「よかった」だ。 傷を孕んで守ったことがそんなに誇らしいとでも言うのか。「女の肌に傷などかわいそうだ」とコレットを哀れんだ女が、自分の傷へ無頓着なのは自虐的にすぎる。 彼女の肌に傷ができるのを疎む男だっているのだ。彼女の傷に傷つく人間がいるのだ。 そんなところにはまるで考えが及ばないのは、すでに自己犠牲の美意識ではなく身勝手な自己満足なのだろう。 ふっとゼロスの胸に憎しみに似た憤りが生まれた。 「こ、こら! 放せ、エロ神子!」 抵抗するしいなの両腕を頭の上で一つにまとめ上げて、ゼロスは静かに回復呪文を口にする。それを左肩にかざしながら、ゼロスは胸元に顔を寄せた。 「や、何す……っ!」 「誰が傷なんて与えるかよ」 白い肌に無数に走る赤い筋。うっすらとにじんだそれら一つ一つに唇を寄せながらゼロスは誓う。 この肌に似合うのはこんな赤じゃない。ふさわしいのは自らの落ちかかる紅い一筋と、執着を示すこの赤だけだ。 それを彼女に教え込むにはどうしたものかと思案しながら、ゼロスは滑らかな白に強く吸い付いた。 |
自己犠牲願望撲滅計画 |
予想外にエロの方向へ転がったよ。今までちらちらと存在をほのめかしていたけど、ついに黒ゼロス様降臨かもしれない。
しいなってオートにしとくと前へ前へ出たがりません? そんでしょっちゅう吹っ飛ばされるんですよ。我が家のしいなだけかな?
見ているゼロっさんは気が気じゃないのではないかと。