突拍子もない奇妙な発言には慣れたつもりだった。 一応彼なりに正常な論理の末に導き出される言葉らしいのだが、経過の部分がはぶかれることが多々あるので、しいなにはさっぱり理解できない。それなのにわざわざ声に出すのは、戸惑ったり呆れたりするしいなの反応を見たいという不謹慎な下心らしく、そのまま良いように流されてしまうパターンが増えたので、最近ではふざけ半分の発言は真面目に取り合わないことに決めたのだ。 ところがたった今彼の口から発された一言は、適当に聞き流すはずだったしいなの態度をひっくり返すほど彼らしからぬ発言だった。 「俺さま、女に生まれたかったなー」 デザートのブルーベリーアイスを口に運ぶところだったしいなは、スプーンが唇に触れる直前、目を丸くして動きを止めた。テーブルを挟んで向かいに頬杖をつくゼロスの、イヤミなほど整った顔を唖然として見つめる。 今のは何かの聞き間違いだろうか。 すでに食器の下げられた彼の前にはコーヒーカップがポツンと置かれているだけ。それには手をつけずにしいなのデザートを物欲しそうに眺めながら、ゼロスはもう一度「やっぱ女がよかったなー」と呟くのだった。 やはり聞き間違いなどではないらしい。二度三度目を瞬かせたしいなは、とりあえず止まっていた腕の動きを再開してスプーンを口に入れてから、ふと思い出したように渋面を張り付かせた。 またこの男お得意の、たちの悪い冗談かもしれない。あまりにも突飛な告白だったものだから、つい素のまま反応してしまったが、真面目に取り合う必要はないだろう。 そう判断して、何も聞かなかったふりで再びアイスをすくったしいなは、痛いほど注がれる強烈な視線を感じて顔を上げた。 「…………なんなんだい?」 曇り空の瞳はしいなの顔ではなく手元に向けられている。一口かじっただけの丸いアイス。 「欲しいの?」 まさかと思いつつ問うと、嬉しそうに顔を輝かせた男はひな鳥のごとく口を開けた。なんとなくその行動に促されてスプーンを届けそうになるが、ふっと意識した辺りの喧騒に我に返る。ここはゼロスの屋敷ではないのだ。噂好きの学生が集まる食堂なんかでそんな大胆な真似はできない。 さっと手を引くと、期待していたらしいゼロスが拍子抜けしたようにカックリと首を傾けた。 「ちょ、しいなー。寸止めはないでしょ、寸止めはー」 「は、恥ずかしいことさせんじゃないよ!」 「えー、いつもはやってくれるのにー」 「知らない! 食べたいなら注文すれば良いじゃないか」 確かに最初は人目がなくとも恥ずかしかったそんな戯れが、いつの間にか自然にできるほどしいなはゼロスに馴らされてしまった。それだけ長い時間を彼と過ごしたという証明でもあるが、いくらなんでも今のは油断しすぎだ。 無意識に動いてしまった自分がどうしようもなく恥ずかしくて、紅くなる頬をごまかすようにぐにゅぐにゅとアイスを混ぜ潰したしいなは、話題を変えるために相手にしないつもりだったさっきの告白に話を戻した。 「で? なんで女になりたいのさ?」 「違げーよ。なりたいんじゃなくて生まれたかったの」 「どっちでもいいけどさ。まさかあんたがそんなこと言うなんて想像もしなかったよ」 冗談でも、ゼロスの口からそんな発言があるとは思わなかった。 「ハーレムを作る」だの「世界中の女の子は俺さまのハニー」だの、およそ本気とも思えない野望ばかり口走る自称ジゴロが、なぜ「女に生まれたい」? まあ、どうせまともな答えが返ってくるとは思わないが、頬の紅潮が戻るまでの時間稼ぎになれば、という思いでしいなは俯いたままゼロスに問いかけた。 「参考にその理由を聞いてもいいかい?」 「そりゃー女の子のほうが得だからよ」 「得? どのへんが?」 意外にも真面目な声で返ってきた返答に、しいなは少しだけ興味を抱いてゼロスに視線を戻す。 どうやら今回は一応理由のある発言らしい。 コーヒーカップを持ち上げたゼロスは、まだ羨ましそうにアイスを見つめながら「だって、そう思わねえ?」と同意を求めてため息をついた。 「たとえばさ。世の中、女性限定!とか、女性割引!とか何かと女性びいきだろ?」 言われてみれば、かくいうこのデザートもしいなの頼んだレディースセットのメニューの一部だ。ゼロスの頼んだ定食にはデザートはおろか食後のコーヒーさえ別料金。 世間一般の風潮として女性優遇が目立ち始めていることは確かだが、だからと言って今さらそれを羨ましがるのはどうも不自然に思えた。 何しろゼロスは貴族なのだ。こんな学生食堂でけちけちせずとも、でんと家一軒簡単に買えるほど財産は有り余っているのである。 腑に落ちない心地でしいなは首をかしげた。 「はあ、まあね。でもあんたアイスが食べたいなら追加すればいいじゃないか」 「それじゃちょっと違うわけよ。俺さまはセットでついてくるお得感を味わいたいわけ」 「なんだいそれは。よくわかんないねー。それで女に生まれたかったって言うのかい」 「それだけじゃないけどな」 育ちゆえか優雅にコーヒーカップを口に運ぶ姿に毎度のことながら感心しながら、しいなはアイスをたいらげた。紙ナフキンで口元を押さえながら、これまたセットの紅茶にレモンを落とす。 「だけどさ、やっぱりあんたがそんなこと言うのは、かなり違和感があるよ。だってあんたなんか女性を甘やかす最筆頭だろ?」 「もちろん、女性は愛でるべきだと思いますよ? けどそれは男に生まれたからこそ持つ後天的な主義なんだよ」 「別にあたしは愛でられたくはないけどね」 「あれ、そんなこと言っちゃう? 俺さまの最高で最大の愛を注がれてるくせに」 「なっ……」 落ち着き始めていた頬の色が再び瞬時に染まると、ゼロスは愉快そうに「うひゃひゃ」と笑った。悔しいのでまるめた紙ナフキンを憎らしい男の額に投げつけ、つんと顔をそらす。 まったくどうしてそういうことが平気で言えるのか。長い時間を共有しても、そんなところは少しも理解できない。 いまだ笑い続けながら、けれどその軽い表情に一抹の寂しさのようなものをにじませて、ゼロスは投げられたゴミを片手で弄んでいた。その動きを目で追って、しいなは仕方ないと言うように苦笑交じりのため息をつく。 また何か面倒くさいことを考えているのだろう。育った環境の複雑さゆえか、ゼロスの卑屈な態度はいつまでたっても改められる気配がない。そういうところが、いつもしいなを腹立たせ、放って置けなくさせた。 ちょうど空になった紅茶のカップをソーサーに戻して、伝票を持って立ち上がった。気が向いたのだ。「女性は得だ」などとちっぽけなことで嘆いている男を、少しだけなら甘やかしてもいいかと。 「今日は任せな」 「あ、しいな?」 いつもは望まずとも支払いを請け負ってくれるゼロスを出し抜く形で会計に向かったしいなだったが、その思惑はすぐさま追いかけてきた彼に阻まれた。さっと伝票を奪われ、店員に手渡してしまう。 「あ、あたしが払うって」 「いんだよ。こういう時は男が払うのが常識なの」 「別に高級レストランでもあるまいし。そんなことこだわらなくても……」 妙なところに律儀で見栄っ張りのゼロスに呆れつつ、しいなは肩をすくめた。断固出させない、と決めているらしい彼に店内でわざわざ逆らうのもバカらしく、財布をしまって外で待つ。 昼過ぎの学生街は午後の授業が始まるのか往来が激しく騒々しかった。 行き交いの邪魔にならないよう壁に背を預けてゼロスを待ちながら、おそらく冗談半分なのだろう彼の願望が叶った場合を想像してみる。 今でさえあの顔だ。女として生まれたならきっと今よりもっと美人だろう。悲しい過去だって変わっていたかもしれない。そうしたらきっと自分とは……。 会計を終えて出てきたゼロスが一瞬しいなを探して視線を彷徨わせた。すぐにぼんやりと思考する彼女を見つけて、当然のように手を引いていく。 慣れ親しんでいるはずのぬくもりを、なぜか遠いもののように感じながら、しいなは呟くように想像の結果を披露した。 「もしもあんたが女だったら、今こうして並んで歩いちゃいないね」 「あれま、その場合はしいなが男になって俺さまをエスコートしてくれんじゃないの?」 「…………仲良しのロイドにでもしてもらえば?」 「うえー、それはないな」 おどけて顔をゆがめるゼロスの顎の辺りを見つめて、しいなの心はいつにも増して静かに穏やかに冷えていった。 たとえばゼロスの願望のように男女が逆転して出会っていたなら、今のような未来はまずありえない。言葉を交わすことさえなかったかもしれない。 だからしいなはゼロスのいい加減な告白に、怒りに似た空しさのようなものを見出していた。しいなは『今』を否定するようなそんな仮定は口にしない。こうして共にある『今』を大事にしたい。 ……そう思っていたのは、自分だけだったのか。 エレバイクを停めた街の外壁までたどりつくと、しいなは人ごみからかばうように回されていたゼロスの腕からするりと抜け出した。突然寂しくなった腕を中途半端に掲げたまま、きょとんとするゼロスに、笑みも仏頂面も浮かべないまま黙って彼を見つめる。 今さら気付いたのだ。ゼロスの告白にショックを受けたこと。 遠回りの末行き着いた『今』に、ゼロスは満足していない。 ふざけたりケンカしたり時々真剣になったり、そんな風に微妙なバランスの上に存在していた二人の関係など、実はしいなの錯覚した幻だったのではないか。 そう思ったら急に目の奥が熱くなって、しいなは慌てて俯いて、代わりに小さく呟いた。 「ねえゼロス」 いつの間に、自分はこんなに彼を好きになってしまったのだろう。おそらく深い意味もなく冗談で言ったような戯言を、真に受けるなんて愚かにすぎる。 だけど。 「あたしは女として、男のあんたに出会えたことを感謝してるよ」 「!!」 いつもだったら恥ずかしくて言えない真実を、涙の代わりに告白した。声が震えてしまったかもしれない。 「しいな……」 ひたすら見つめる地面の先に、見慣れた男の靴が近づいて、しいなは怯えたように一歩下がった。必死に抑えている感情がこぼれてしまいそうで、近づくのが怖い。触れられても、どう反応すればいいのかわからなかった。 覚えているはずのぬくもりが、まるで他人のあいまいな記憶のように思えた。 「ごめん、何言ってんだろうね、あたし……」 「しいなっ!」 無理に笑ってごまかしながら距離をとろうとするしいなを、捕らえる腕の動きは早かった。いくぶん焦ったように詰め寄ったゼロスは逃げるしいなをあっさりと抱きしめ腕の中に閉じこめる。苦しいくらいの抱擁に、こらえていた涙があふれた。 「しいな……」 他人の記憶じゃない。遠い過去じゃない。 確実に現実であるゼロスの存在を改めて認識して、しいなはやっと自覚した。 切なげに囁く声を知っている。引き寄せる腕の強さも、触れた箇所の暖かさも知っている。 それが当たり前になって、いつしか嬉しさや恥ずかしさも薄い感情になってしまったけれど、きっとそれではいけないのだ。 こうして触れ合えることの喜びを忘れてはいけない。ゼロスが男で、しいなが女で、想いを通わせあってここにいる偶然をもっと大切にしなければならないのだ。 「悪い。ふざけすぎたな」 ゼロスがふと背から手を離した。神妙に呟く声に苦笑して、少しだけ肩の力を抜く。 「ふざけてなんかないだろ。それもあんたの本音の一つさ」 「んん、まあ、そう思ってたんだけど……」 何やら歯切れの悪い返事が返ってきて、しいなはわずかに首を動かした。本気にしろ冗談にしろ、白黒はっきりしないゼロスの態度は珍しい。 「そういえば手なずけるのにずいぶん苦労したんだったーって思い出したら、過ぎし日の奮闘に涙が出てきちゃうわけよ」 「はあ? なんだいそれ」 「ほらほら、そういうとことかね。やっぱ『今』を手放すには惜しいよな」 おどけた口調で笑ったゼロスの腕が、しいなの肩を滑って頬へのぼった。わずかに涙のあとの残るそこへ両手を添えるとゆるく上向かせる。蒼灰の瞳はほんの少し申し分けなさそうに、そして多分に幸せそうに見えた。 「だってこんなふうに触るの許されてんのは俺さまだけなんだろ?」 「……あんたが許させないんじゃないか」 「そうそ。ってことで前言撤回。俺さまやっぱり男に生まれて大満足」 そうしてゼロスの表面に浮かべられた笑みは、すぐに情欲に変わった。獣を思わせる鋭さで熱の宿る目を細めると、有無を言わさぬ態度でしいなを誘う。 騙されやすいしいなだから、嘘や建前ばかりのゼロスの本音を見破ることは難しい。本当は奇妙な告白をしたゼロスの真意だってわかっていない。 それでも。 この配役でここにいることを全身で喜びたいから。 「しいな……」 少しあわただしく落とされた口付けは、獣がかみつくかのよう。 うろたえながらも、ひどく懐かしい心地のするその感覚に身を任せながら目を閉じると、曖昧になっていた仮想と現実の境がくっきりと見えた気がした。 |
現実とは偶然の奇跡である |
ある意味倦怠期な二人。安くておいしいサイバックの学生食堂は一般客もわざわざメルトキオから訪れます(なんてウソ設定)
当初の構想から二転三転したためか、えらく時間のかかった話。途中文章が荒れてますね……。
どっかのサイトさんでゼロしいの男女逆転ものを見たのですが、ハマリすぎてて逆に萌えませんでした。やっぱりゼロ♂しい♀だから好きなんだなぁ、個人的には。