窓から見えた朝焼けがとてもきれいだったから、あたしはベッドから足を下ろした。ひんやりとした空気が素肌をさらう。それに身震いして、あわてて上着を引っ掛けてから静かに部屋を出た。
がけのふもとをくりぬいて作ったドワーフの家。昨夜フラノールから引っ張ってきた医者は、性格にたいそう難はあるがそれを補うほどには腕は確かのようで、一度は絶望的とすら思えた老ドワーフの容態も奇跡的に回復の兆しが表れた。安静にしていればきっともう大丈夫だろう、その言葉を聞いて安心したあたしたちは糸が切れるようにベッドへ倒れこんだのだった。

大人組がみんなこっちに来ちゃったけど、フラノールの子ども組は大丈夫なのかねぇ。
じわじわと忍び寄る冷気に徐々に頭を覚醒させながら、ぼんやりとそんなことを考える。子ども組というのは未成年メンバーのことだったが、年齢で区別するなら自分もそちら側に配されるはずが、なぜかこちら側に連れてこられたことは釈然と思わなくもない。けれどあちらの半端ない寒さから逃れることができたのだから、細かいことは気にしないようにしよう。そう理由付けて、すでに癖になり始めている、手のひらを擦り合わせる動作を繰り返した。

ひんやりと冷たい居間にはまだ誰もいない。ほんの少し優越感を覚えながら、光の漏れる穴ぐらの扉を押し開けると、突如広がった橙色の空にあたしは目を奪われた。
「きれい……」
一日の始まりは力強くて、その勢いに圧されてしまう。まるで世界に一人ぼっちのような錯覚を覚えるが、それは決して悪い気分ではなかった。
すがすがしい清浄な空気を取り入れようと深く息を吸ったあたしは、ふと鼻をついた異臭に軽く咳き込んだ。
「わ、なに? くさ……」
「おうおう、だーいぶ早起きじゃないのしいな」
鼻を覆ったあたしの感覚を次に刺激したのは聞きなれた軽薄な男の声だった。朝焼けによく似た髪を無造作にかきあげながら、こちらを見上げている。町の不良のようにしゃがみこんだ彼の足元には踏み潰された吸殻が落ちていた。
そこで初めて異臭の正体を知る。

「せっかくの気持ちいい朝だっていうのに、そんな害物のせいで台無しだよ」
「ふぁ……朝から相変わらずだねぇ、しいなは」
「誰がそうさせたんだい!」
のんきにあくびなどする男の頭を軽くはたいて、ため息をつく。壮観だった朝焼けも、吸殻の後ではやけに下卑たものに見えた。ああ、ホントに台無しだ。
もう一度吸殻を強くねじ踏んでから、ゼロスはおもむろに身体を伸ばした。紅い髪から香るのはいつものちょっと鼻につく香水ではなく、さきほどの異臭。あたしは一瞬顔をしかめた後、ついとその髪を引っ張った。
「アンタ、たばこなんて吸うっけ?」
「まーね、そんな日もあんのよ」
さらりと、顔色一つ変えずに流す。つま先で残骸に砂をかけながら、ゼロスはつまらなそうに俯いていた。

その様子がなぜだかすごく寂しそうに見えて、どうすればいいのか迷い、掴んだままだった髪の先をもう一度ついと引っ張った。
「あてて、しいなぁ。それ本物なんだからそんなに引っ張られると痛いんですけど」
おおげさに顔をゆがめて訴える仕草も、いつもと同じようでいて、そこはかとなく空しい。
なんだろう、いつもと違う気がするのに、はっきりとそれを指摘することは出来なかった。
(……いつも? そのいつもの中にだって、こんなときが幾度かなかった?)
ゼロスの蒼灰の瞳を見つめながら、あたしは呆然と過去の記憶をたどった。そのさまに呆れたのか、小さく鼻で呼吸をしてゼロスが髪を掴んだあたしの手に触れる。冷たい手。それに促されて、髪は滑るように手のひらをすり抜けた。
「……ねえ、ゼロス。どうしたの?」
「は? 別にどうもしてないぜ」
「ホントに?」
「ホントだって。……それとも何よ。しいなちゃんはぁ俺さまがそんっなに気になっちゃうわけ?」
蒼灰の瞳が意地悪く歪む。冷たい手がするっと腰に伸びてきたのを敏感に察知して、あたしは拳を繰り出すのと一歩飛びのくのを同時にやってのけた。
「何すんだい! 人がせっかく心配してやってんのに!」
「っで! だーかーらー。その心配ってのが完全にあてが外れてんだよ!」
「あー、そうかい! アンタみたいなエロ神子に繊細な感情を持ってるなんて思っちまったあたしが間違ってましたよ! このバカっ」
つんと顔を背けてゼロスを視界から除けると、見えない場所でゼロスが笑ったようだった。

呆れたように、寂しそうに、馬鹿にするように、あきらめたように、かすかに息で笑って。そういう態度をうまく表す言葉をあたしは知らなかった。
「そーよ、俺さまってどうしようもないバカなんだわ……」
強く吹いた風に乗って届いた小さな呟きに思わず振り返ると、追い風にあおられて舞った紅い髪がまるで彼の背に生えた羽のように見えた。朝焼けと紅い髪。二つの朱が相乗されてどこか血の色にも似ている。
…………ぞくりとした。


それからずっとその悪寒はあたしの中でくすぶっていて、けれど愚かなあたしはそれを理解することも推測することもできずに、流されるままあの時を迎えてしまった。
「やるからには本気でいこーや」
呆れたような、寂しそうな、馬鹿にするような、あきらめたような、そんな顔であたしたちの前に立ちはだかったゼロス。彼の背には、あの日見たのと同じ色の羽が与えられていた。
理不尽なしがらみや、残酷な運命や、苦痛とともに続く生。その全てから逃げ出せる羽。
そのときやっとあたしは気付いたんだ。ゼロスが浮かべた態度の名前。
――自嘲。
自分に絶望してたんだね。逃げたくて、でも留まりたくて苦悩してたんだね。そしてそんな自分をあざ笑ってたんだね。
あたしはそれに気付きながら、頭で知覚することが出来ずに見逃してしまった。
彼を悲劇へ追い込んだのはあたしだ。生きることを投げ出す羽を与えたのは……あたしだ。
「ゼロス……」
血の色に染まりゆく彼の身体から、ひらりと一枚羽根が落ちた。歪んだ視界で捕らえたそれは手のひら
に触れると、解けるように消えていった。

自嘲




 クラトスルートのゼロス。っても実は未プレイです。ごめんなさい。
 怖くてできるわけないですよ。その点ゼロスルートならパパとはいつでも会えますからね。
 しいなって勘でゼロスの闇を嗅ぎ取ってはいるんだけど、ゼロスの冗談に簡単に騙されちゃう子ですよね。