強引に引き裂かれた大地の一部にはこの数千年の間に人には見えない触れられない、未踏の地と化していた場所もあるらしい。テセアラの貴族院が中心となって進めている世界統制の役割の中には、統合後に現れた数々の未開拓地の調査も含まれていた。
今回、ゼロスが任されたのは、現れた狭間の大地に奇跡的に残された救いの塔の残骸調査だった。
どうやら崩壊したあの時に降った瓦礫は全てではなかったらしい。確かによく考えてみればあんなに高い塔の欠片が地上に降ったあれだけというのは不自然だった。地上に落ちなかった一部の残骸は、次元の狭間に取り残された秘められた大地に降り、それが今になってごろごろと出現しているわけだ。
その一つ、イズールド沖に突如現れた孤島には、かなり原型をとどめた形でウィルガイアの欠片が残されていた。ウィルガイアといえばゼロスにとっていい思い出のない場所だが、今はこの大地を離れてしまった天使やディザイアンたちの貴重な資料が残されているかもしれないと、頑固な議会が言えば逆らうわけにはいかない。
結局ゼロスはしぶしぶながら、無機質な堅い床に再び足音をたてていた。

「つーかさ、今さら高度な機械やら何やらを拾っていったって、しょせんブラックボックスなんじゃねー?」
ディザイアンやレネゲードの技術者たちはもういないのだ。アルテスタだって国の頼みだからといって協力するとは思えない。操作や機能はわかっても、それを組み立てる部品も技術も失われた今、研究発展への貢献は期待できなかった。
つま先でこぶし大の欠片を転がしながらぼやくと、先を歩く姿勢のいい背中から呆れたような咎めるような口調が返ってくる。
「別にマネをしようと思って持ってこいってわけじゃないんだろ? あくまで史実として残すための参考として、ってあたしは聞いたよ?」
「マジにそんな殊勝な心がけならお使いだって喜んで頼まれますけどねー……」
魔科学なんて邪道なものは、これを機会に滅んでしまったほうがいいのだ。それが四千年前の争いを助長したことは確かなのだから。悲劇は繰り返すべきではない。
研究所の下心が見え透いているのも、気乗りしない現状に拍車をかけていた。
そもそも、この調査員の手抜きっぷりはどうなのか。いくらウィルガイア侵入経験があるからといって、ゼロスとしいなの二人だけというのはひどい。
「それだけあたしたちの実力に信頼をくれてるのさ」とのんきに笑うしいなは相変わらずおめでたくて、ゼロスは深々とため息をついた。
一階層分がまるまる遺された調査対象内部はとてつもなく広く冷たい。電源や発電機はすでに機能していないので、閉ざされた扉を開けることにまず一苦労だった。薄暗く冴えない視界の中での作業はすぐに苛立ちを揺さぶった。
「あー、くそ!」
かかとで衝撃を与えようがびくともしない堅牢な扉。ところが、無愛想なそれの隙間から異変はひらひらと舞い落ちた。
「ん?」
白い羽根がひとひら。かつてここで生活していたうつろな住人たちの象徴だ。
それを拾い上げてゼロスはかすかに顔をゆがめた。

心などなくなってしまえばいい。
そう思ったのは一度や二度ではない。天使化したコレットに出会ったときこそ、憐憫と嫌悪を感じたけれども、いつしかそれは自分が望む究極の形に思えてきたのだった。
何も感じない生体。ただひたすらあてもなく生きる彼ら。
仲間はそれをおかしいと、かわいそうだと呈していたが、それに同調しながらゼロスはひどく彼らに憧れた。むしろうらやましかった。
彼らは悲しみなど知らない。迷いを抱かない。苦しみを強いられない。
なんと楽なことだろう。それらから逃れられるのなら、心を失ってもいいとさえ感じていた。
組織の思惑と頼りない信念と弱い自分に揺れていたあの時……。

「ゼロス! どこだい? 何かあった!?」
ふと切迫した呼び声にはっと我に返った。開かない扉の前で羽根をつまみながら立ち尽くしていた現実に気付き、慌てて返事を返す。高い靴音が迷いもなく近づいて、蒼白な彼女の顔が現れた。
暗闇に慣れた目が額に光る汗を見つける。
「心配した?」
ふざけて問いかければ、険しくなる瞳。体の脇で握った拳が震えていたが、それは振り下ろされずに力を失った。一つ、ため息と共に。
「当たり前だろ」
安心したのかぎこちない笑顔に、ゼロスもふっと笑みを浮かべる。つまんでいた羽根を肩の向こうに放り出して、彼女に一歩近づいた。
「探しに来てくれてありがとな」
「う……だって気付いたらいないから……」
「おいおい、俺さまのこと忘れんなよー」
「忘れるわけないだろ? いつもそこにいるからいないなんて思わなかった」
「…………………」
思いがけない言葉にゼロスはきょとんと目を丸くした。いつの間にか、彼女の中に深く根付いていたらしい自分の存在に驚かされる。そしてすぐに胸の奥が暖かくなった。
心がなければなんて、なんとも愚かしい願望。
彼女の言葉が嬉しいことも、自然と頬がゆるくなるのも、心がなければ起こらない。この喜びを感じることもできない。
「しいな……」
「ちょ、調子に乗るんじゃないよ! 今は仕事中なんだからね!」
伸ばした腕をそっけなくはらって、しいなはくるりときびすを返した。風が舞って感じる彼女の匂いにかすかな欲を覚える。
「じゃあ、これが終わったら調子乗っていいわけだ? よーし、俺さま頑張っちゃお」
ぎょっとして振り返るしいな目がけてゼロスは駆け出した。「そういう意味じゃない!」と怒る彼女を追い越して、暗闇を渡る。
もう振り返らなかった。ここで生きていた彼らの証。過去のゼロスの願望。
それらは全てここに置いていこう。もう世界は新たな未来を歩み始めている。
痛みと迷いと悲しみの果てに手に入れた現在(いま)だけを抱いて、ゼロスは過去を映すうつろな場所に背を向けた。


メモリアルグレイブにさよなら


 

 あー…ウィルガイアも落ちたよね? 崩壊のときにきっとね??
 天使には心がないとか散々言われてましたけど、私はウィルガイアにいた天使たちはかなり人間臭いと思いました。
 ユグドラシルの噂話する二人とかね。お前ら上層部の派閥抗争が気になる下層サラリーマンか。