しいなの嘘はすぐばれる。それはひとえに嘘の経験が足りないからに他ならない。嘘を知らずに育った人間は、大人になっても嘘をつくことに罪悪感や後ろめたさがあるのだろう。
その不器用さを愚かだと思う。その純粋さを羨ましいとも思う。
どちらの感情も、嘘をまとうことでしか身を守れなかった不幸な人間のひがみでしかない。
そうとわかっていても、正直すぎるゆえに傷つく彼女を見ていると、どうしても目が離せなくなるのだ。

「一生懸命なのはみとめますが、まだまだ安定していませんね」
「ホントホント。心がついていってないっていうかー」
「私たちを使役しておきながら、私たちを怖がるなんてバカにしてるも同然じゃないか?」
三姉妹に容赦なくバッサリと批判された召喚士は、言い返す言葉も見つからずに消える精霊たちを見送ってうなだれた。
「そんなこと……言ったって……」
呟く呼気は荒い。精霊召喚にどの程度の負担があるのかは知らないが、しいなの消耗は異常に激しいようだ。頼りない足取りで数歩下がった彼女は、陽気な日差しを避けるように近くの木の幹に背を預けて力なく座った。

人工精霊であり親友でもあったコリンを亡くして以来、しいなは召喚術の訓練に躍起になっているように思う。仲間たちの助力のおかげでなんとか契約はできたとしても、以後彼らを指示するのはしいななのだ。人間一人に与えられるには強大すぎる力を制御して操るには、並ならぬ精神力を要される。
ところが、再びシルヴァラントへ渡ってからのしいなには、精神力どころか集中力すら満足に持続できないことが続いていた。
コリンの死、くちなわの裏切り。彼女にとって大きな衝撃の直後では心が乱れるのも仕方ないのかもしれないが、召喚術の失敗は命取りとなる。だからこうして人目につかぬこんな街外れで、当の精霊本人たちに協力してもらいながら一人練習しているのだろう。
(不器用なやつ……)

だらりと投げ出した右手から符がばら撒かれる。拾い集める気力もわかないらしく、気だるげに見送るだけの視線の先に、風に飛ばされたそれをひょいを捕らえる少年がいた。
「しいなさん。大丈夫ですか?」
「あ、ああ……ミトス」
時には少女とも見まがうほど繊細な造作の少年は、金髪を揺らしながらその愛らしい顔をしかめる。哀れんでいるとも咎めているとも判断がつけがたい奇妙な表情のまま、ゆっくりとしいなに近づいていった。
「召喚術は身体に負担がかかると聞きます。無理はいけませんよ?」
「……うん、そうだね。もう休むよ」
心配してくれた仲間へ最低限の愛想のつもりか、しいなはゆるく笑って「ありがとう」と呟いた。その瞬間、複雑に眉を寄せたミトスが、しいなよりしとやかな仕草で隣にそっと座る。
腹の読めない少年であるが、どうやら今は純粋にしいなを気遣っているらしい。彼は拾い集めた符の束をしいなに差し出した。

「精霊が怖いんですか?」
「やだ、見てたのかい!?」
「……ちょっと心配だったので。すみません」
「いや、いいんだけどね」
自虐的な笑みで笑ったしいなは受け取った符を懐へ戻しながら、照れ隠しのようにわざとらしくため息をついた。ミトスの真っ直ぐな視線から逃れるように、折った膝の頂点を見つめて呟く。
「まったく、精霊は正直だよ。事実しか言わない。あたしの実力不足もぐらぐらしてる心も、全部見抜いて言うんだから容赦ないよね……」
「仕方ないですよ。彼らは嘘をつかない。言葉の飾り方も知らないから、自然と直球になる。いかにも精霊らしいですよね」
「はは、詳しいねミトス。勉強したのかい?」
「え、……ええ、本で読みました」
ごまかすように微笑んだ少年の白々しい嘘の中に、どのくらい真実が混ざっているのか、きっとしいなは気付くことはない。かつて使役した精霊たちに、少年がどんな感情を抱いているのかは、聞くまでもなかった。
「彼らは時に愚かなほど正直です。それがいつも正しいとは限らないのに……」
ささやくような細い口調に満ちる侮蔑、憎悪。そこにはヒトと精霊という種族間の感情ではなく、もっと根底の薄暗い感情があるように思えた。

首をかしげたしいなが、困ったように笑う。
「でも、嘘をつくのはいいことじゃないよ」
「だけどそれが必要なときもあると思います」
「……………うん」
「嘘が真実を見せることも…………」
「…………そうか、ねえ……?」
どうにも鈍感なしいなにミトスは呆れたようだった。先ほど精霊に対して浮かべた鋭い感情を今度はしいなに向けて、けれどそれを押し隠しながら立ち上がる。
「ロイドやジーニアスが心配しています。早めに戻ってきてくださいね」
「うん、わかったよ」
ミトスは一瞬ちらりとこちらへ睨むような視線を向けた後、背を向けて去っていった。幼い後ろ姿には歪んだ憎悪ともどかしさが見えた気がして、ゼロスはふっと皮肉に笑う。

まず間違いなくあの年齢不詳は自分と同類だろう。嘘に汚れた不幸な子ども。嘘を生きる手段と自覚しながら、平然とこなす自分を許せない、そんな矛盾を抱えながら生きている。
だって嘘をまとわなければ自分を保てなかったのだ。己の存在を否定する他人に囲まれて生きていくには、周りにも自分にも嘘を本当だと思い込ませなければ、壊れてしまいそうだったからだ。
傷つけられるのは怖い。心を開くには勇気がない。
嘘つきという人種はたぶん、そういう哀れな子どもなのだろう。
だからこそ嘘つきは正直者を嗤う。愚かだと、偽善だと嘲り、彼らを裏切ることで自らの正当性を確認する。
それはなんと浅ましい行為だろう。独りよがりな自己満足だろう。
結局、嘘つきが正直者へ向ける感情なんて決まってただ一つなのだ。あの少年も自分も、おそらくその感情を隠したいがために侮蔑や憎悪などといった汚い感情で上塗りしているのかもしれない。
正直でいられることが羨ましい。嘘をつかずに生きてこられた環境が羨ましい。

一つため息をついたしいなが立ち上がる気配に、ゼロスも寝転んでいた枝から身を起こした。歩き出そうとするしいなの前を目がけて身を投げ出すと、膝で衝撃を逃がしながら軽い動作で着地する。
「うわ!」
「俺さまも帰るー」
「ゼゼゼゼロス!? 驚かすんじゃないよ!」
ベチンとなかなか爽快な音と共に、反射的に繰り出されたしいなの手のひらが頬にヒットする。乾いた痛みに涙が浮かぶが、予想の範囲内なのでヘラヘラ笑いでおどけた声を出した。
「いってー……。ホントに手加減なしなんだから」
「ああああんた!いつから…どこにいたんだい!?」
「んー? しいながシルフちゃんたちに撃沈されるとこくらいかなー。そこの木の上で昼寝してたわけよ」
「んな不安定なトコで昼寝なんかするな! ……っていうか、怒るのはそこじゃなくて……」
顔が赤いのは驚きか怒りか、それともまったく別の感情なのか。混乱の後自分に突っ込んだしいなは、急に勢いを失ったようにカクリと脱力した。
「いるなら声くらいかければいいのに……」
「邪魔しちゃ悪いかと思ってよ」
「そりゃお気遣いどーもありがとう」
相手をするのも面倒になったらしいしいなは、投げやりに手を振るとゼロスを置いて歩き出す。スタイルゆえか悩ましげな動きで遠ざかっていくしいなの、汚れを知らない無防備な背中にふと焦がれた。

正直の中でも語頭に「バカ」がつく、しいなのような単純人間は警戒心というものがないに違いない。
何に対してもまずは窺ってかかるゼロスにしてみれば、基本的に何事にも信用して接するという彼女のスタンスは、あまりに無謀だ。どうしてそう構えもせず心をさらけ出せるのかと不思議でならない。
丸見えの心ではいつ傷つけられるかわからない。いつ壊されるかも知れない。
だのにその可能性をちっとも恐れない彼女たちは愚かであると同時に、とてつもなく強い人間なのだろう。
「しいな」
「なんだい、ゼロ……ス!?」
発作的に腕を伸ばして彼女の腰を捕らえると、自分のもとに引き寄せる。油断していた彼女の身体はあっさりと己の胸に倒れこんだ。
彼女の本質である清さに身を浸すように頬をすり寄せながら、ゼロスはただ一つだけのことを願う。
「おまえは嘘なんか知るなよ」

どうかどうか、彼女が嘘に染まることがないように。

「何すんだいいきなり!」
「あだだだだ。しいな痛い痛い!」
「いいからさっさと放すんだよ! こ、こら! どこ触ってんだい!!」
「ひゃー、すっげー手ごたえ。こりゃ放せねーなー」
「ふざけんな、この変態! エロ神子!」
「うっひゃひゃひゃひゃひゃ」


どうかあなたはそのままで…


  

 汚れのない清らかさに焦がれる闇。不可解な暗さに惹かれる光。
 異界の扉後パルマコスタに行かずにうろうろしてる設定です。ミトスともっと一緒にいたいって駄々こねたんです、ジーニアスが。
 同じ召喚士としてミトスはしいなも気にかけてたんじゃないかなーという妄想。むしろ願望。