●秋の休暇 @発端

秋はきれいだ。比較的四季のはっきりしているミズホの里では、おそらくテセアラで一番に紅葉の時期を迎える。赤や黄色で着飾った木々が里だけでなく、囲む山々までも染め上げるから、この一時ミズホはまるでカーニバルだ。
美しい景色には心を洗われる。とても短い期間限定の美しさは、自分だけで楽しむのはもったいないと思う。
この景色を、美しさを誰かに教えてあげたい。
そう感じるときふと浮かぶのは、例の男の顔だった。

「……あいつ……どうしてるかな」
数ヶ月前の不思議な二人旅以来、時折ふらりとやって来ることが増えたゼロスだったが、ここ何週間か彼の姿は見かけていない。たぶん、また新たに調印されたテセアラ・シルヴァラント間の条約の整理で忙しいのだと思う。そういう時、あいつは無理をする傾向があって、けれどそれを他人に見せるほど素直でもないから、気付かないうちに体調を崩していないかと心配になる。
だからこれがあいつの様子を確認する口実になれば。
素直じゃないあたしはそんな風にこじつけないとあいつに会うこともできなくて、その回りくどさがじれったい。
あいつのように一言、「顔を見に来た」と済ました顔で言えるようになれたらいいのに。

とにかく、まずは手紙を書こうと思って、すずりを引っ張り出したところで、不意に障子の向こうに気配を感じた。
「しいな、いるか」
「おろち? ……なんだい?」
実はおろちの来訪はあまり好ましくない。いや、彼自身が悪いわけではない。彼が持ってくる厄介ごとが、好きではなかった。
障子をスッと開けて滑るように入ってきたおろちの右手にはやはりというか、洋封筒が挟まれていた。瞬間「うぇ」という顔になるのを必死でこらえる。なんとか愛想笑いを浮かべることに成功したあたしは、意識的にその厄介ごとから目をそらした。
「や、ご苦労様だね、おろち。……できるならソレは持ってきて欲しくなかったけど」
「勘違いするな。これは仕事じゃない。私信のようだ」
「仕事じゃない?」
てっきり苦手な書状作成を強制されると思っていたものだから、あたしは拍子抜けした。
きょとんと彼を見上げると、苦笑してあぐらをかいたおろちがその洋封筒を差し出す。淡いピンクの厚手の封筒。しかし受け取るとそれは見た目の割りに中身が薄い。
ミズホの頭領あてでも、親善大使あてでもない表書きは「藤林しいな」個人あてになっていた。裏返せば流麗な「ゼロス・ワイルダー」の文字。
「ゼロス? なにさ、わざわざ手紙なんて改まって……。用があるなら……」
来ればいいのに、と言いかけてつぐむ。さっき自分で推測したじゃないか。来られないからこそ手紙なのだ。

そんな多忙な彼がどんな用事かと気になったあたしは、ここに居座ることに決めたらしいおろちの前でそれを開けた。
案の定、便箋は一枚。仕事関係でもよく目にする、意外というか当然とも思える流れるようなゼロスの字が、紙いっぱいにつづられていた。
「よお、元気か?」から始まって、しゃべるときと同じく軽薄な小気味よい文章で近況が記され、その合間にちょろっと愚痴が混じっている。会っても紙でも変わらないゼロスらしさに呆れ交じりの笑みを浮かべながら、読み進めて、最後の一行、あたしは硬直した。
「しいな? どうした?」
様子が変わったあたしに驚いて、おろちが声をかける。覗き込むつもりだったのか、身を乗り出してきた彼から隠すようにそれを胸に抱くと、あたしはふるふると首を振った。
「ううん、たいしたことじゃない」
「そうか? ならいいが……」
「うん、なんでもない」
どうしてもこらえることが出来ない笑みを隠すためにうつむいた。抱きしめた便箋がくしゃと丸まるのも気になったけれど、この感情を閉じ込めるにはこうするしかなかった。

「ねえ、おろち。明日……暇をもらえないかな?」
「なんだ、しいな。別にかまわないが……神子殿か?」
「うーん、……まあそうだね。約束が出来たもんで」
瞬間、他人にはわからないほどかすかに、おろちが顔をしかめる。彼はどうにもゼロスを対するジレンマの感情を抱いているらしく、ゼロス関連の話をすると、たいていいつもこういう顔になるのだ。それでも結局、コクリと頷いて。
「まあ、いいだろう。その代わり、今日のうちにテセアラ陛下への一昨日の報告書を仕上げてくれるんだろうな」
「うっ! ……それは……」
「だろうな?」
「わわわかってます! 今から取りかかるよー」
「そうだな。お前の技量じゃ、直しも含めて今始めても今晩中に終わるかどうか」
「ひー! おろちも手伝って!」
慌ててすずりに向かうあたしの背後で、おろちが複雑そうにため息をつくのが聞こえた。
たまには休息が必要なのはあたしだって同じ。だから嬉しかった。

追伸:紅葉がきれいなんだぜ。お前にも見せてやるよ。っつーわけで、明日もみじ狩りだから、準備しとけよー。

● A共有

同じ時同じ場所で同じものを見て、同じ気持ちを共有する。
それはささいなコミュニケーションではあるけれども、もしかしたら最大の意思疎通なのかもしれない。
隣に立って、一緒に笑って。本当に普通のことで、今まではそんな小さなことに逐一感動なんてしていなかったけれど。
あの時。
同意を得られなかった悲しさ、寂しさ。そのあとでわざわざ話を戻して、そっけないがあたたかい返事を与えてくれた優しさ。
あたしはすごく嬉しかったんだ。特別なことではないのに、冷たくなった心にあたたかい風が吹き込んだようで、そこで初めてこんな当たり前のやりとりが大切なことだと知った。
こうして並んで立っていることにさえ、ささやかな幸せが隠れていている。

「ひゃあー! こりゃ、見事だね」
なんとか書状をまともに作り上げることに成功し、無事もみじ狩りへのお誘いに同行することが出来たあたしは、目の前に広がる秋の絶景に感嘆をこぼした。
ミズホの紅葉もすでに最盛期を迎えているが、ここは山間ということもあって、染まる色が濃い。だからか、ミズホの風景より迫力があった。人の手も入っていないから、野性味もある。
本当に見事だ。誰が見ても「きれい」と形容するだろう景色。
流れ落ちる豪快な滝の音と、不思議な巨花が吹き出す不規則な風を肌に感じ、うーんと身体を伸ばした。清浄な空気を吸い込むと、頭がクリアになる。このところ、仕事ばかりでろくに外にも出ていないことに今さら気付いた。
「まさかこんなところが隠れた紅葉スポットだなんてね」
「だろー? まあ一般人がほいほい来れるほど安全な場所じゃあねーからな。だからこその穴場っつーワケだけどよ」
しいなの反応に気をよくしたゼロスは、「だっはっはっはっ」とお得意の下品な笑い声をあげながら、あたしの先を歩く。数週間ぶりの再会だったけれど、相変わらずの調子だし、とりあえずまあ健康そうなのでほっとした。もちろん、顔には苦笑を浮かべて、そんな感情は表面には出さなかったけれど。
以前はソーサラーリングがあったから、やたら面倒なシャボン玉法で渓谷の上まで登ったが、今回は足で行ける一番高い場所にとどめることにした。本当は洞窟の奥に急斜面の登り口があるらしいのだが、紅葉を楽しむだけならここで十分だろう。
風に流されて一枚二枚と色づいた葉が舞った。
「きれいだね」
「ああ。そうだな」
その黄色い落ち葉がふわふわと漂い、渓谷を真っ二つに割る滝の激流に押しつぶされて下に落ちていく。その様が、少し痛かった。ふと見下ろせば、滝つぼには同じように羽をもがれた落ち葉の残骸たちがしなびて浮かんでいる。
今は必死に枝にしがみついている葉っぱたちも、いずれこの先行者のように朽ちていくのだろうか。
それを思うと、単純にきれだった景色が、不幸な未来を孕んだ切ない最後の宴のように思えた。
ゼロスは何も言わない。同じものをみて、同じ場所にいて。今、彼は何を思っているのだろう。
しばらく黙っていたゼロスが、ふと投げ出すように足を伸ばした。それに反応して彼に顔を向けると、滝つぼを見下ろしたまま、ふとぽつり。
「寂しいな」
低い声音でまるで独り言のように呟かれた言葉に、あたしの胸にくすぶっていた切ない感情があふれ出す。
それを共有できたことが、嬉しくて、切なくて。
だからあたしは空を覆う赤や黄色に目をとられた振りをして、なんでもないように「そうだね」と呟いた。

● B自覚

貴族生まれのお坊ちゃま育ちで、その必要はまったく皆無だったにも関わらず、ゼロスの料理の腕はなかなかだった。もともと小器用であるせいかもしれない。
目の前で面白いほどすいすいと向かれていく果実を見つめながら、時折こっそりそこに落とされた視線を辿る。伏せられたまつげの隙間から見える、灰がかった青の瞳に魅せられた。
いつもは聡いはずの他人の視線にも、気付かない様子でゼロスは手と同時に口を動かしていた。
最近のメルトキオの様子。先日リーガルとプレセアが屋敷に来たこと。そこから伝え聞いたセイジ姉弟の近況。
よくもまあ、そんなにポンポン話題がでてくるものだと思いながら、あたしは慣れたその手つきをじっと見ていた。
秋の風は日中といえど肌寒い。不意に強く吹いた風に舞い上がる紅い髪を目で追いながら、あたしはまた立ち上がってそばの木からキルマフルーツをもぎ取った。
普段の忙しさが嘘みたいな穏やかな時間が流れていく。きっと本当はこっちのほうが現実的じゃない日常なんだ。
「ほい」
きれいにむかれた果実を受け取って、もぎ取ったばかりの方を手渡す。再び腰をおろして、果実にかぶりつきながら、あたしはふと尋ねた。
「なんで急に紅葉なんて見に行く気になったのさ」
「さあなー、気分転換って感じ? だぁってさ、毎日毎日仕事仕事じゃ腐っちまうぜ?」
「まあ、そりゃそうだね」
本当に聞きたいことはそれじゃなかった。でも、今のあたしはそんな質問を真顔で出来るほど鈍感じゃいられない。
そのまま立ち消えた会話を追うように、ゼロスが手を止め顔を上げた。いつもの笑みはなく、いぶかしむように目を細めている。
「なんだよ、しいな。お前にしちゃ歯切れの悪い返事だな」
「べっつにー」
「言えよ」
「だから、何もないって」
深い色をした瞳としばしにらみ合う。そういえば、今日はいつものような言い合いや一方的なケンカをしていないことに今さら気付いた。あれはある意味独特のコミュニケーションとなっているのだが、それのない会話が続くなんて不思議なこともあるものだ。
「あーあー、せっかく誘ってやったのにこれじゃ、ホントにかわいくねーよなぁ」
「うるさいね! どーせあたしはかわいくないよ!」
「素直になればいいのに。意地っ張り」
「!」
見透かされているのかと思った。もちろん、あたしが意地っ張りだなんてことは自他共に公認のはずだけど。
「ど、どこが意地っ張りさ?」
「知らね。しいなが聞かないんだったら、俺さまだって答える必要ないし」
ああ、まるで子どもみたいにすねている。こちらに向けられていた視線も手元に戻されて、再び作業を始めてしまった。
あたしはなんだか急にもどかしくなって、気がついたらゼロスの腕をがしっと掴んでいた。
「うおっと! 危ねーな、しいな!」
「なんで!」
「あ?」
「なんであたしを誘ったの?」
ああ、言ってしまった。恥ずかしさに顔が上げられない。聞いておいて、きっと自分で答えはわかっているんだ。ただ、もし違ったらと思うと、自意識過剰だと笑われたらと思うと。
頭の上でゼロスがふっと笑った。
「やーっと少しは自覚持ってくれたってわけだ?」
俯いた視界で、ゼロスがナイフと果実を脇に置くのが見える。空いた両手がすっとこちらに向かってきた。肩に触れた。
ドキリとする。ああ、この感じ。あたしはもしかしたら。
「なあしいな。俺は二人で見たかったんだよ、この景色を。お前はどうなの? なんでついてきた?」
頬に手を添えられ、上向かされる。やたらと幸せそうに、ゼロスが笑っていた。いつも貼り付けている軽薄なものではない、彼にしては貴重な笑み。
なんだ、答えなんて最初から持っていたじゃないか。こんな単純なこと。
「アンタに会いたかったんだ。二人で並びたかった。だから、今ここにいるんだ」

2007.11.2〜11.30  



 ロデオライドの『空』トラックに萌えて書いた話。なんでラーセオン渓谷なんだろう。
 しかもキルマフルーツってざくろっぽい果物らしいです。皮の剥き方おかしくね?