扉を開けた瞬間、吹き込んできた冷気に、ゼロスは風呂上りの体を震わせた。高い山の中間に位置するこの町は、夜になるとかなり冷え込む。 急激に冷たくなる長い髪を肩にひっかけていたタオルで覆いながら、ゼロスは薄暗い部屋の中を見わたした。 シングルのベッドが二つと、装飾を省いたシンプルな家具がいくつか。目を凝らしても見えるのはそれらの影だけで、人の姿はない。 先に部屋に戻ったはずのロイドはどうしたのだろう。 なんとなく部屋の明かりはつけないまま、開け放たれた窓辺に歩み寄ると、隣室からにぎやかな笑い声が聞こえた。確かエミルとジーニアスにあてがわれた部屋だったが、女性陣も何人か一緒に話しているらしい。 普段ならゼロスも混ざりたいところだが、今は姿の見えない同室の少年のほうが気がかりだった。なんだか柄にもなく思いつめたような顔をしていたから。 「ロイドくーん?」 ふと思い至って、ゼロスは窓から身を乗り出し天を見上げた。狭い安宿の二階は手を伸ばせば簡単に屋根に手が届く。「よっ」と懸垂の容量で屋根へ上がったゼロスは、そこでようやく探していた親友の姿を見つけた。 「よー何してんのよ、こんなところで」 「ゼロス」 ぼんやりと遠くを眺めていた瞳が、するりとこちらに向けられる。その小さな仕草にさえ、以前の彼にはなかった憂いがにじんでいて、ゼロスはおどけて話しかけようとした口をつぐんだ。 ロイドは変わった。 世界再生という偉業を、犠牲はあったもののほぼ理想的な形で成し遂げてから二年。混乱した世界を立て直そうと、それぞれの方法で動き始めてからは、頻繁に会うこともなくなった。 ゼロスの知らない間に、彼が何を見て、何を思ったのかわからない。 けれど、久しぶりに顔を合わせたロイドはあの頃とは確実に印象が違う。 たぶん、一番の変化は落ち着きが備わったというところだろう。以前の彼はまだ幼さもあり、何かと無鉄砲に突っ込んでいってしまう傾向があった。 しかし、今の彼には思慮深さがある。理不尽なことに直面しても、感情のまま声を荒げることは少なくなった。 もちろん根本の、人を思う優しい心が失われたわけではない。誰もが惹かれる心の強さは今も彼の胸に抱かれている。だからこそ、こうして再びあの頃のメンバーが集い、新たな仲間とも和解することができたのだろう。変化は何も悪いことではない。 戸惑いを押し隠してロイドの隣に腰掛けたゼロスは、風に浮き上がる髪を押さえながら彼が見つめていた方向へ目を凝らした。そこにはかつて、救いの塔と呼ばれる異世界との境目があった。 「俺さ」 「ん?」 「今より強くなれば、もっと多くの人を救えると思ってたんだ」 静かに、ロイドは呟く。小さなかすれた弱い声に、なぜか彼の顔を見てはいけないような気がして、ゼロスは空を仰いだ。 「俺の手はもっと遠くまでとどくものだと信じてた」 「………ふうん」 確かにゼロスのよく知る彼はそういうことを平気で言える人物だった。理想論だと思いながら、胸を張ってそう宣言する彼を妬み、羨み、誇りに思ったことをよく覚えている。 今でもゼロスはそれを驕りだと思ってしまう。何も失ったことがないからそう言えるのではないか。当然、それは失わないためにロイドが無我夢中に勝ち取った平安であると知っているけれど。 時々、意地悪な僻みがゼロスの脳裏を徘徊する。 「だけど気付けば、俺は目の前のことでいっぱいになって、俺を心配してくれる仲間のことも傷つけた」 「それは、お前だけのせいじゃないだろ」 「そうかもしれない。けど、守れなかったのは事実なんだ!」 「………………」 その仲間というのが、誰のことを言っているのか判断しかねた。 彼を一番想っているあの子のことのようにも、素直じゃない態度で密かに慕うあの女のことのようにも聞こえる。 それどころか、彼の幼い親友や、冷静な師のことを言っているようにも思え、ゼロスは顔をしかめた。 もちろん、彼は特別な誰かを言っているわけではないのかもしれない。彼にとって自分たちはいい意味でも悪い意味でも仲間という言葉でひとくくりにできてしまうものであり、公平に守るべき者なのかもしれなかった。 だが、その器の広さが、ゼロスの心にとげをつくる。 「人間一人が守れる範囲なんてそう大きなもんじゃないぜ。目移りしてれば、当然おろそかになる」 自らの口から出た声がいつになく冷ややかなもので、ゼロスは自分でも驚いた。はっとしたようにこちらを見るロイドの視線からあえて逃げるように、ゼロスは髪をかきあげる。 「そんな、目移りなんて!」 「してないって言えるか?平等に守るなんて、俺さまは不可能だと思うけどねー」 「ゼロス!」 「だって、そうだろ。現にお前は傷つけたって言ったよな。それ、誰のことだ?守りたかった仲間って、誰を言ってるんだ?」 「それは……」 なぜだろう。責めるつもりで彼を探していたわけではないのに、吐き出す言葉は攻撃的な言葉ばかり。 誰かを傷つけて、ロイド自身だって傷ついたこともよく知っているのに、止まらない。 気を落ち着かせようと、目をつむり冷たい空気を吸い込むと、まぶたの裏にちらついたのは二人の少女の顔だった。 同じ男を思う、健気な二人。彼女たちがかわいそうでもどかしくて、ゼロスは黙っていられない。 「なあ、ロイド。お前には優先って意識はねえの?」 「優先?」 「そう。たとえば、守りたい人たちがそれぞれピンチに陥っていたとして、誰を最初に助けに行くんだよ?」 父親譲りの整った顔の中心にしわが寄る。いかにも不愉快だという顔をして、ロイドは問い返した。 「ゼロス、お前何が言いたいんだよ」 さすが、鋭い。以前より思慮深くなったぶん、簡単にはゼロスの企みにはのってくれないようだ。 眉をひそめて笑って、ゼロスは今度こそはっきりと告げる。 「特別に思う奴はいないのかって、そう聞いてるんだ」 ロイドの顔が驚き、そして再び歪んだ。暗くともよくわかる。彼は今怒っている。 ゼロスの質問の意図を正確に理解したのだろう。以前は苛立たしいほどうとかったそっち方面にも敏感になったようだ。 ほんの少し意趣返しをした気分で微笑むと、不意にロイドは何かに気付いたように表情を緩めた。怒りに哀れみが混じり、ゼロスははっと身を強張らせる。何もかも見透かされたような気がした。 「いや、違うな。ゼロス、お前本当は俺の答えが聞きたいわけじゃない。……俺に誰って言って欲しいんだ?」 「…っ!」 問い返されて、言葉を失う。自分でもわからなかった。 ロイドと少女二人の問題に余計な首を突っ込んでいるだけのつもりだった。 だが、本当にそれだけだろうか。悲しむ女の顔を見て腹が立ったのはどうして? 気落ちしているロイドに、慰めるどころか追い詰めるようなことを言ってしまったのはなぜ? 「……わりぃ、やつあたりだった。忘れてくれ」 「ゼロス……お前」 「あーあ、さみーな。俺さま風邪引いちゃうーってなわけで、先戻るぜ」 顔を俯かせ、表情を隠しながらゼロスは立ち上がった。ひらひらと手を振って、逃げるように屋根から下りる。 真っ暗な部屋に戻って、ゼロスは密かに舌打ちをこぼした。 完全な失態だ。あんなこと、以前の自分だったら言わなかった。隠し通せたはずの苛立ち。 どうして見せてしまったのだろう。 悔しさと恥ずかしさに目をつむれば、あの女の顔が浮かんだ。 偽物ロイドの噂に惑わされ、泣き出しそうに揺れる濃茶の瞳。 本当は知っている。たとえロイドの優先が彼女じゃなかったとしても、彼女がゼロスを選ぶとは限らない。 それでも彼女が傷つくのを見ていられないから。余計な口を出してしまったのだ。 ささいな感情を隠しとおせなかったのは、ロイドのせいだけじゃない。二年という時間の流れは、ゼロスから本心を覆う鎧をも削り落としてしまったらしい。 こんなにも醜い本音をむき出しにするなんて。 「だせーな、俺」 低い呟きは、吹き込んだ風に乗って惨めに反響した。 |
優先意識と深層心理 |
ラタトスクで知的キャラ属性のついた彼について。
隠すってことをしない彼だったので、ラタでのひっぱり技は卑怯だよー。その秘された感じがかっこいいッス!
ただ、シンフォでもラタトスクでも、やっぱりロイドの性格は計り知れない感じがあります。
ロイドくんを書こうとすると、必ず筆が止まる法則!!