潮風吹く海の町で少し冷たい風に当たりながら、はからずもテセアラから持ち込んでしまった古代文献を解読していた。 同じテーブルには異世界で仲間となった、手かせの大柄な男と、赤髪の派手な男。見た目のわりに老成していたクルシスの天使に裏切られて以後、危なっかしい少年たちのお守りをひとりで抱えるのは想像以上に大変だったが、この二人が少しは信用できる大人だと認識してからは、負担も減った気がする。たまにはこうして酒を交わすのも悪くない。 まあ、目の前で繰り広げられる高尚なワイン批評を聞く限り、彼らはこの特産品をそんな軽い気持ちで飲んでいたわけではないようだが。 めったに取れない宿屋でのそんな穏やかな休息に、深刻そうに眉を寄せて現れたのはラフな寝間着に着替えたコレットだった。 「あら、どうしたの?」 「しいながね部屋に帰ってこないの。ここにもいないみたいだね」 フロント前のロビーを見回して胸の前で指を組む少女。続いて階段から聞こえてくる騒がしい足音のほうを振り返って、聞きなれた名前を呼ぶ。 「ロイドー」 「なんだよ、ここにもいないのか? 遅くに出歩いて大丈夫かな…」 「……メルトキオほどではないにしても、人の多い町は危険です」 「あんなことがあったあとだしね……。一人になりたいのかもしれないよ」 予想通りの人物と、おそらくついてくるだろうと思っていた子ども組――弟と無口な少女まで現れて、いかにシルヴァラント最大都市の宿屋といえど、一度に増えた人口にフロント前の談話室はいささか手狭だった。 フロント係が露骨に迷惑そうな顔をしているのが見えて、リフィルはパタンと本を閉じる。ちょうど何かがひらめきそうな予感がしたのだが、自分の出番なのだ。仕方ない。 「ここは広くないんだから、部屋に戻りなさい」 「つっても先生! しいなの姿が見えないんだ」 「出かけているのではなくて?」 部屋にもここにもいないなら、それしか答えはないだろう。もちろん、彼らだってそんなことはわかっていて、なおかつ欲しいのはそんなセリフではないことなど知っていたが、少々面倒くさいという気持ちがあったのだ。 案の定、もどかしげに首を振ったロイドとコレットは「そうじゃなくて」と口をそろえる。 「しいなが落ち込んでたのはみんな知ってるだろ? コリンに続いてくちなわのことで、そうとう傷ついてるみたいだったし……」 「……それにしいな、上着置いてっちゃてるから。外にいるなら寒いんじゃないかなって」 「みんなで探しに行こうかって言ってたんです」 「はぁ」 我慢しようとしたはずのため息が、つい口からこぼれた。 もう子どもじゃないんだから、過剰な心配や気遣いは迷惑以外に他ならない。一人になりたいから出て行ったのだろうに、それを邪魔して恩を売るのはお門違いだ。 教師という立場として、それを諭すべきか見守るべきか。逡巡した瞬間だった。 「あーあー、もう本当におせっかい集団だなー」 呆れ、というよりは馬鹿にした口調で場を割ったのは、テーブルに頬杖をついた赤髪の男ゼロス。傾いた視線でこちらを見上げた彼の顔は歪んでいた。おそらくそれは頬杖だけが原因ではない。 「あの鉄拳ならどんな男が言い寄ってこようともまるで問題なし! 寒かったら勝手に帰ってくるだろーし、ほっときゃいーのよ」 気だるげに片手を振って、グラスをあおる。そうとう酒には強いのか、一瓶空けても言動は愚か、顔色さえまったく変化はなかった。 彼の言うとおりだろう。ゼロスという男は普段おちゃらけているくせに、思いのほか他人の機微に聡いところがあって、時折このようにスパッと物事を切ってしまう。見かけによらず苦労しているらしい彼の冷静な意見なのだろうが、いかんせん精神的にもまだコドモなお子様組には理解しがたいところがあるようだ。 ゼロスの意見をなげやりと取ったか、ロイドやジーニアスは憤然とした表情を浮かべていた。 「なんだよそれ! しいながどうでもいいって言うのかよ?」 「そーは言ってないだろ? ただ、探しに行くのはおせっかいだって言ってんだ」 ゼロスの言うことにも一理あると考えたのか、コレットが組んでいた指を解いた。相変わらず感情の読めないプレセアも、見た限り言い合いには参加するつもりはないようである。 「もういいよ! ゼロスなんかに頼るつもりもないし。ボクたちだけで探しに行こ」 「そうだな、ジーニアス」 結局なおも食い下がったのはでこぼこコンビだけで、彼らは勝手に決めるとゼロスの隣をすり抜けて出口に向かおうとした。てっきり放り出すかと思われたゼロスが、多少強引にその腕を浮かんで引き止めたことが意外だった。いつもなら「勝手にしろ」と投げてしまうのに。 聞き分けのない子どもたちを斜め上から見下ろしながら両手をあげる。 「わかったわかった! 俺さまもちょうど出かけようと思ってたとこだし、ついでに探しといてやるよ。お前らはもう休んどけって」 言うや否や、ロイドを押しのけてさっさと出て行ってしまう。なんだか彼らしくない行動だなと疑問に思った。見回せば呆けたように彼が消えたドアを見つめる仲間たちがいて、そう感じたのは自分だけではないのだと知る。 「ついでじゃダメなんだよー」 やがて気の抜けた声で呟いたロイドに、リフィルは立ち上がった。 「わかったわ。私が責任持って探してきます。あなたたちは心配しないで早く休みなさい」 「え、先生?」 「リーガル。この子達を頼んでもいいかしら」 「ああ、引き受けよう」 重々しく頷いてくれた男に笑みを向けて、リフィルはゼロスを追って宿を出た。保護者が増えて、少しだけ自由に動けるようになったことが嬉しかった。 ゼロスの紅い長髪は、かすかな街頭の中でもすぐに見つかった。くせなのだろう右に体重をかけただるそうな歩き方で、市場のほうへ向かっていく。迷いのない足取りは夜遊び目的というよりは、しいな捜索のほうに重点がおかれているように見えた。まるで彼女の居場所を初めから知っているかのよう。 無人の市場を抜けて、今日は若干荒れ気味の波を受けながら突端の灯台へ向かう。気配をひそめながら、ふと自分はなぜこんなふうにコソコソと後をつけているのだろうとおかしくなった。たぶん後ろめたいのだろう。 灯台の向こう側に彼の姿が消えて、リフィルもそこで足を止める。波がかからない場所を見つけて手すりにもたれかかりながら耳をすませた。 「ゼロス!」 しいなの驚いた声が灯台の裏から聞こえた。やはり彼女はここにいたのだ。 ゼロスのわざとらしい笑い声がして、不意に強くなった海風に会話が途絶える。聞こえなくなってしまって、どうしたものかと思案したリフィルは、ほんの少しだけ二人に近づいてみることにした。 「そんなこと悩むだけ無駄なんじゃねーの?」 聞こえたのは低い囁くようなゼロスの声。鼻をすすっているのはしいなだろう。 「だからって忘れるわけにはいかないさ。あたしの罪なんだから……」 「忘れろとは言わねえよ。ただあのくちなわってやつは今何言ったって聞く耳持たないだろうし。悩んだって悔やんだって時間は戻らない。時間は前にしか進まないからな。だったらお前は今できることをするしかないんじゃねーの」 「結局、そこに戻るのかい」 「そうそ。頑張ってるお前を大事に思ってくれる人間がいるだろ? そいつらの優しさまで捨てんなよ?」 「……うん。あんたの言うとおりだね」 どんな言葉にも常にとげをまとうゼロスの声とは思えないほど、優しい声音だった。盛れるだけ盛って来るイヤミなど影も見えない。泣いている女を前に冷たい言葉を言えるほど、非道ではないだろうが、口調にはそれ以上の感情が顔をのぞかせているようにも思える。 好意。それも彼が得意としている万人に与えるそれではなく、もっと特別なもの。 「ふうん。やっぱりそうだったのね……」 なんとなく勘付いていたことの裏づけが得られて、リフィルは笑みを深めた。意外といえば意外なのかもしれない。相手が相手なので、今はちょっと報われないかもしれないが。 気付けば会話はなくなっていた。風はない。波音もさきほどより大きくなったわけではない。 ハッと我に返った時にはすでに、しいなを抱き上げたゼロスにでばがめをを見咎められていた。 「おいおいおいリフィル様ってば。褒められないご趣味をお持ちですネー」 回転する灯台の光に一定のタイミングで照らされるゼロスの表情は、お世辞にもいいものとは言えなかった。ただ、激怒しているわけでもない。恥ずかしいところを見られてばつが悪いのを、不機嫌に塗り替えようとしているみたいだった。 彼の首に抱きついたしいなは彼の腕に抱えられて、静かな寝息を立てている。 「出るに出られなかっただけよ。それより、しいなは眠ってるのかしら?」 「そそ。悩み疲れるとすぐおねんねなのよ、こいつ。昔っからな」 並んで歩きながら腕の中の顔を見下ろすゼロスの瞳は柔らかい。彼がこんな表情をするなんて、なかなか見られない代物だろう。 「あなたがそんな顔するなんてね。普段はけっこうしいなにきついこというくせに」 そう指摘すると、パッと表情を改めたゼロスだったが、すぐに砂をかんだように奇妙な表情を浮かべた。今さら取り繕ったところで彼の好意はばれている。 ほんの少し自嘲気味に笑った彼は、しいなを抱きなおしながら言った。 「俺さまだってしいなをいじめたいわけじゃあねーのよ。ただこいつを甘やかす役は他にいるから、俺さまが余った役に回らざるを得ないわけ」 「あらあら。損な性格ね」 「いーんだよ別に。それぐらいの方が」 腕の中で大切に守られた無自覚の存在が急にうらやましく思えた。 彼女にはたくさんの保護者がいる。故郷の里を離れていてもなお、この男のように彼女を守る存在がついているのだ。その環境が、あの純真な性格を生んだのかもしれない。 自分が彼女と同じ年頃だったときを思い出して、リフィルは顔をしかめた。 「あなたがいるから、しいなのことは心配しなくてもいいわね」 自分の声が予想外にいじけていることに驚いた。他人が聞いてもわからない程度には抑えたはずだけれど。 しかし、ピタと足を止めたゼロスは、リフィルをその鋭い瞳でまっすぐ見つめると、怪訝そうに眉を歪めた。 「しいなは任せてくれていいけどよ。……俺さまはリフィル様のほうがよっぽど心配だね」 「っ!」 言葉につまったリフィルの顔を見て、ゼロスは少しだけ哀れむように目を細めたが、何も言うことはしなかった。止まった歩みをさきほどと同じ速さで再開して、リフィルを置いて通り過ぎる。それにならおうとする頭の命令に対して、両足は固まったように動かなかった。 守られるべき年齢のころからすでに守るべきものを抱え、教師という職業柄、さらに責任が重くなっている彼女の人生。 両手を伸ばして、突っ張って、時々自分がバランスを崩しそうになりながらそれらを守ってきたけれど、彼女だって守られるべき女で、支えを必要とする程度には若いのだ。しかし環境が、立場が、それを求めることを許さない。 肩肘張って虚勢をまとって、生きるしかないのだ。 本当はしいながとてもうらやましい。知らない間に守られて、純真でいられる幼さがうらめしい。 目じりから何かが伝った。固く厚い虚勢で必死に隠していた寂しさを、すんなりと剥ぎ取っていった男の後ろ姿が、歪んだ視界の果てに消えた。 |
保護欲と被護欲 |
異界の扉後のパルマコスタで。初めてですね、ゼロス、しいな以外の視点は。
ゼロしいだと言い張りますが、見ようによってはゼロリフィにとれなくもない微妙な話。
シンフォニアパーティメンバーで一番の謎は姉さんだと思います。先生を大人にしたのが誰なのか、とか(下世話)