正装というのはつまり、祝いの気持ちや態度を手っ取り早く伝えるための記号の一つである。 貴族たちはそこへセンスや魅力を取り込むことで自身のプライドやステータスを体現しているようだが、そんなものはしょせん贅沢な人間の二次的な目的。 しいなのような一般人にはそこまでする余裕も必要もない。記号にまぎれてそれなりに見えれば十分なのである。 高価な生地も動きにくいデザインも、普段着とは目的が違うわけだから仕方がない。 いまいち落ち着かない心地で自分自身を納得させた。 ……とは言っても、心のどこかで浮かれてしまうのは、捨てきれない乙女心ゆえなのか。 首を動かすたびにしゃらりと鳴るかんざしがくすぐったい。ワインレッドの妖艶なロングドレスは意外にも黒髪によく映えた。 いつもと違う自分。落ち着かないけど、悪くもない。 普段積極的におしゃれをしないぶん、こうしてたまに着飾るのは、本音を言うと少しだけ楽しかった。 レセプションセンターは例のごとく華やかだ。きらびやかな記号をまとった人々が、アンニュイに談笑している。正面の舞台にはやたら大きな横断幕が掲げられていた。 「祝・1周年」なのだそう。 何が、と聞かれると社交界に縁のないしいなには答えられないが、どうやらテセアラ王家がひいきにしている劇団か何からしい。 そこへなぜミズホの隠密が引っ張り出されるのかよくわからないが、ヒルダ姫の少々強引なお誘いがあれば安易に断るわけにもいかない。 どうせ見知らぬ他人ばかりだし、軽く挨拶でもしたら帰ってしまおうと目論んでいたところ、思いがけず顔見知りも多かった。 「ほう、しいな。見違えたな」 「あらほんと。磨けば光るのね」 「わあ。すっごくきれい!」 「そ、そうかい?」 彼らが皆一様にしいなの希少価値なおしゃれを賞賛してくれるものだから、いつのまにかしいなの心も高揚している。 そのまま結局ずるずると長居してしまい、気付けば祝宴は閉会に近づいていた。 ちらほらと退場する人々の姿もある。 このまま居残れば帰宅ラッシュにもまれるのは必至だ。今が潮時であろう。 そう判断したしいなはにぎやかな会場からするりと抜け出した。 センターの前にはすでに迎えの馬車やら車が溢れていた。 クロークに預けていた時計を見れば、すでに日付を越えている。黒い空の下を吹き抜ける夜風が、熱気にあてられたしいなの頬をひんやりと撫でていった。 「宿まで歩いて着替えてお風呂に入って…」 これからこなさなければならない課題を思うとうんざりする。おまけに慣れない靴ですりむけたかかとが歩くたびに痛みを訴えるものだから、しいなはほとんど八つ当たり的に群れる送迎車をにらみつけた。 その時である。 お迎え馬車の一台から、鮮やかな赤毛が下り立った。見覚えはある。というか、見慣れている。 お祭り男、ゼロス・ワイルダーだった。藍色の礼服を着ているのは、まさか、この時間から参加するつもりなのだろうか。さすがいいご身分だ。 「!」 顔を上げたゼロスはすぐにセンターの前に立つしいなに気付いたようだった。一瞬驚いたように目を丸くする。 その驚きは偶然はち合わせたことより、しいなの格好に向けられているらしい。青い瞳が髪からつまさきへ下った。そして再び顔に戻ってくる。 しいなはわずかに頬を赤くした。心臓が早くなった。 「しいな、お前……」 「な、なんだい」 「どうしちゃったの?」 思いがけないセリフにしいなのほうが困惑する。どうしちゃったの、とはどういうことだ。 「は?」 「なんか、お前らしくねーな」 痛烈な一言。吹き抜けた冷たい風が肌を刺すようだった。 薄刃のナイフのような鋭さで胸を裂かれたしいなは、しばし硬直しやがて力なく笑った。 このゼロスに何を期待したのだろう。 そもそもゼロスの口から素直な褒め言葉なんて出たことがない。他の女には歯の浮くようなお世辞を並べても、しいなに対してはいつだってからかいのセリフしか口にしないのだ。 それも彼のコミュニケーションなのかもしれない。だから冗談だと聞き流しておくべきなのだ。 浅はかな期待を抱いた自分がバカだった。この痛みは自業自得。 もはやゼロスへぶつける怒りもなくて、しいなはただ肩をすくめた。 「それよりあんた、これから行くのかい?」 「おう、そのつもりだったんだけどな。お前は帰んの?」 「帰るよ。それじゃあね」 ぐずぐずしているとラッシュに巻き込まれてしまう。二人を追い越していく貴族たちの背中を見ながらしいなが答えると、ゼロスが「じゃあ」と言ってなぜか腕を掴んだ。 「なんだい、これは」 「俺さまも帰ろっかなって」 「なに言ってんだい。まだ陛下に挨拶もしてないんだろ?」 「もういいや」 投げやりなセリフにしいなのこめかみがピクリと動く。自分勝手なゼロスの振る舞いは時々無性にしいなの神経を逆なでするのだ。 「じゃあアンタはなんのために来たんだい!?」 掴まれた腕を乱暴に振り払って、しいなは怒鳴った。その恫喝にも動じず、ゼロスはひょうひょうと答える。 「しいなを送るため?」 整った顔立ちにはこのやりとりを楽しんでいるかのような笑みが浮かんでいた。 「余計なお世話だよ!一人で帰れるさ」 「ほんとに?」 ゼロスの視線が赤くすりむけたしいなのかかとに向けられる。案外めざとい。ぐっと言葉に詰まったしいなは、ゼロスから逃れるように後ずさった。その瞬間、蘇る刺激。 「……っ」 「ほらほら、意地張るなって。よっ……と」 「な、何するんだい!」 見かねたゼロスに抱き上げられて、しいなは両手を振り回した。迎えの運転手らがものめずらしそうにこちらに注目している。恥ずかしさと怒りで顔が熱くなった。 「ちょ、ゼロス!ふざけんじゃないよ!」 「はいはーい。おとなしくしてー」 抵抗をものともせず、ゼロスはここまで乗ってきた車にしいなを放り込んだ。這い出す間もなくゼロスが乗り込んできて、ドアは無情にも心得た運転手によって閉められる。 「ちょ……」 呆然としているうちに車は発進した。そこでやっとしいなはあきらめてため息をつく。 送っていってくれるというのだから甘えておこう。足の痛みが同意するようにジクリと痛んだ。 宿屋には十分ほどで着いた。 よろめきながら車から降りる。宿屋はもうすぐ目の前なのに、歩くのも辛い。 ゼロスに支えられながらなんとかたどり着いて、しいなはがっくりうなだれた。 なんだかやたら疲れてしまった。 「おいおい、大丈夫かよ?」 「……誰のせいだと思ってんだい」 車中のおしゃべり男が気味の悪いほど無口だったのも、しいなをくたびれさせた原因だった。ポーカーフェイスの得意な彼は何を考えているのだか表情から察することが出来ないから余計不愉快である。 「とにかく、送ってくれたことには礼を言うよ。助かったのは本当だし」 いろいろ不満はあるが、これだけは素直に言っておこうと顔を上げると、意外に真面目な顔をしたゼロスがそこにいた。 宿前の淡い光に照らされて、陰影が濃くなっている。「どうしたんだい」と言いかけた唇は彼の指先で止められた。 いぶかしんで眉をひそめると、彼は逡巡の末、口を開いた。が。 「そのドレス……」 「あー、もういいってば。聞きたくないよ」 出た言葉がさきほどの傷を思い出させる単語だったので、しいなは首を振って遮った。憮然としたゼロスが表情を険しくする。 「まだ何も言ってないだろ」 「だから言わなくてもいいって。これはただの記号なんだから、気にしないで」 どうせまた馬子にも衣装だとか言い出すんだ。疲れきった今はわざわざ深手を追うようなことは避けたかった。 なおも言いかけるゼロスから逃げるように、しいなは庭の花壇に気をひかれたふりをしてその前の手すりにもたれかかる。 するとゼロスが思い余ったように迫ってきた。こころなしか、怒っているようにも見えた。 「いいから言わせろ」 「!」 そう言って、しいなを閉じ込めるように手すりに両腕をつくと、耳元のかんざしを指ですくう。 しゃらり。 それが妙に生々しく聞こえた。心臓がはねている。 どうしてだろう。突き飛ばすことは可能なのに、腕が動かなかった。 思わず身をすくめたしいなを満足そうに見つめたゼロスは、すっと顔を寄せかんざしを鳴らした耳元で低く囁いた。 「すげー似合ってる」 夜風に冷えた身体が急激に熱くなる。 今のもまた冗談なのだろう。うろたえるしいなを見て、からかっているに違いないんだ。 煮えてしまいそうな頬に片手を当てて、しいなは激しく首を振った。 「う、うそ」 「嘘じゃねーよ」 「だってさっき、らしくないって……」 ゼロスのかすかな息遣いが聞こえる。密かに笑ったらしい。 「いつものしいならしくない格好だけど、似合わないとは一言も言ってないぜ」 「……っ!」 しいなはゼロスから逃げるように俯いた。 悔しい、恥ずかしい。 少しだけ期待していた言葉を、こんな二人きりの時に言うなんて卑怯だと思った。 嘘だとしても、冗談でも、嬉しいと思ってしまう。 「し、んじらんないよ。いつもからかってばっかで、そんなこと言わないくせに……」 「それは……理由を言ったって信じねーだろうよ」 ゼロスの声が口ごもったので、しいなは顔を上げる。どことなくばつが悪そうだ。 多大な好奇心と、ちょっとした仕返しのつもりでしいなは促がした。 「信じないから言ってごらんよ」 「…………人前では恥ずかしくて言えないから」 不機嫌そうに返された答えにしいなは首が曲がるほどいびつに傾ける。ゼロスは何と言った? 「……意味がわからない。聞いてるこっちが恥ずかしいほど、いい加減なお世辞を何度となく聞いたことがあるけどねえ」 「それはその他大勢のハニーたちに、だろ?」 「それじゃあたしはその他大勢じゃないってのかい?」 単純に聞き返して、しいなは再び赤面した。 それではまるでしいなが特別だとでも言っているようだ。 そんな、馬鹿な。 「や、やっぱり信じないよ!」 期待したら痛いしっぺ返しがくるに決まっている。しいなが近すぎるゼロスの胸板を押し返すと、どうにも心外らしい彼は抗議した。 「ちょ、おい。待てよしいな!」 「やだね。アンタの嘘に付き合ってられるか」 「嘘じゃねーよ!こら!」 拘束が緩んだ隙に逃げ出すと、しいなは宿へ駆け込んだ。背後で「逃げるな!」と叫んでいるが、取り合っていられるか。 からかわれるのも腹立たしいが、真面目にほめられるのはもっと質が悪い。 耳に残る低音の感触を思い出して、しいなは震えた。 聞かなければよかった。そう思う反面、ゼロスのストレートな褒め言葉が、今日かけられた多数の賛辞より強くしいなの胸に焼きついている。 |
ドレスアップ |
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お世辞とは言葉のドレスアップだと思います。
だから礼装しなれているゼロスにとって、本音のままの着飾らない言葉を言うのは照れるんですよ。
それがしいなに対してならなおさら。